薬師寺天膳への最後通牒
忍法帖に、自分の住んでいる町の名前が出てくると、このうえなく嬉しい感じがするものですが、これが実際の物語の舞台ともなると、さらに誇らしげな気持ちにさえなります。
徳川家康が大御所政治を行った駿府は、忍法帖ではたびたび出てくる場所で、シリーズの中でも、かなりメジャーな地名、と言っても差しつかえないと考えるのですが、駿府に限らず、静岡県は、東海道における宿場のおよそ五分の二を占めているせいか、忍法帖シリーズの作中に登場する頻度が、割合と多いような気がします。
さて、現在の私の住まいがある町も、忍法帖の舞台となったことが、記憶している限りでは一度はあるのですが、その作品というのが、忍法帖シリーズの記念すべき第一作目「甲賀忍法帖」で、あの薬師寺天膳が死んだ場所となりました。(´・ω・)
【掛川の宿から三里二十町で金谷、一里をへだてて島田、そのあいだの大井川は、同時に遠江と駿河をわかつ。島田から二里八町で藤枝の宿。
これは、山間ながら、半里以上もある長い宿場だ。】
街道からすこし北へ入った小高い場所に荒寺があり、甲賀のくの一・陽炎はここで天膳の”伊賀責め”に遭うのです。
【「ひ、ひと思いに殺しゃ!」
「おお、殺してやる。殺すにはおしいが、望みどおり、殺してやるわ。じゃが、ひと思いには殺さぬ。朝までかかって、ユルユルとな。――あすは、生かしておけぬ。あすは、駿府入りじゃ。駿府まで、この藤枝からはたった五里半、たとえその間に宇津谷峠や安倍川があろうと、ゆっくりあるいても夕刻までにはつこう。伊賀組晴れの駿府入りじゃ。おまえの名は、それまでに人別帖から消されねばならぬ」】
十年以上前の初読時には、「こんな重大な局面が我が町で展開されようとは!!」と快哉を叫んだものですが、今となっては「バジリスク」の薬師寺天膳のイメージがあまりにも強烈であったため、「あの、エロいうっかり屋さんが死んだ土地」、と認知されてしまっていることでしょう・・・・・・。
【――そしていま、藤枝の廃寺の闇のなかに、甲賀弦之介は、生ける薬師寺天膳と、じっと相対したのだ。】
余談ですが、島田荘司氏の「奇想、天を動かす」作中にも、藤枝が舞台となる場面があり、”海に面している”という描写があったことに萎えた記憶があります。藤枝市は海には接していないのです。
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