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2009年2月

「神君幻法帖」

 山田正紀著「神君幻法帖」読了。

 鎧のように硬い肉体を持つものがいて、変装術の達人がいて、占いを得意とするものがいて、かまいたちを起こすものがいて、不死身のものがいて、相争うふたつの一族の棟梁のわざがともに瞳術(ただし、これは映画「SHINOBI」の朧の術にむしろ近いが・・・)とでもいうべきもので、さらにその二人は修羅の闘争のさなか恋に落ちて――と、これはまさに、風太郎忍法帖、とりわけ「甲賀忍法帖」以外のなにものでもありません。

 巻末のインタビューでも、作者の山田正紀氏は、きっぱりと「甲賀忍法帖」へのオマージュだと言い切っています。七対七で始まるこの世のものならぬ死闘は、数ある忍法帖の例にもれず、敵味方すべてがその命を散らして、ただ無意味な寂寥感だけが残ります。

 とはいえ、これは風太郎忍法帖では、当然のことながら、ないのです。

 様々な幻法を操る、幻法者たちの悪夢的な戦いは、時に予想を裏切り、勝敗の帰趨を二転三転させて展開していくのですが、読みながら、山田風太郎よりも、菊地秀行氏の小説のテイストに近いものを常に感じることとなりました。菊地氏が、山田風太郎の大ファンを自認していることは、ファンなら誰もが知るところでしょうが、結局、目指すもの=模倣の行き着くところは、大体にして同じ、ということになるのでしょうか(山田正紀氏、菊地秀行氏の批判にあらず)。

 いくつかある不満のうちのひとつをあげるとするなら、登場人物たちのセリフのやりとりがやけに硬く、最後までニヤリとさせられるような、印象深い言葉が出てこなかったことです(本家の忍法帖であれば、どの作品にだって、名セリフ・名調子がいくつかはあるのですが)。

 それでも、山田正紀氏なりの幻法の解説や、「甲賀忍法帖」とは違う結末、ラストの天海僧正に対しての皮肉など、興味深い部分も随所にあり、”21世紀の忍法帖”を、私は、大いに楽しむことができたのでした。

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「チェンジリング」

 クリント・イーストウッド監督「チェンジリング」を観てきました。

 まず、これが実話に基づくお話だということに驚かされるのですが、事件の発端から、権力の横暴、予期せぬ展開を、淡々と、しかし力のある映像で示していくイーストウッドの確かな演出は、これがただならぬ映画であることを観客に明らかにしていきます。

 公開前は、その内容から、同じ監督の「ミスティック・リバー」や「ミリオンダラー・ベイビー」のような、鬱的な終わり方を予期していたものですが、実際はどうであれ、ラストに「希望がみえた」というアンジェリーナ・ジョリー演じるクリスティン・コリンズのセリフが、私の心にも一点の光を灯してくれたのでした。

 個人的な観点からいえば、クリント・イーストウッドが監督のみに専念している作品より、彼が主演もこなしている作品のほうが好きで、正直なところ、この「チェンジリング」がイーストウッド監督作品でさえなければ、スルーしていた可能性も高いわけですが、4月に公開される「グラン・トリノ」以降も、監督として関わっていくであろう作品に、まだまだ注目をしていかなければならないでしょう(硫黄島の凄絶な戦闘の記録などは、イーストウッドの「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」の2部作で初めて知ったようなものです)。

 ・・・そういえば、アカデミー賞の発表って、そろそろでしたっけ。

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「十三回忌」②~解決編

 小島正樹著「十三回忌」読了。

 文体が全体的にライトで読みやすく、大胆不敵なトリックも楽しかったのですが、どんでん返しを期待し過ぎたせいか、さほど「やられた!」という感想を抱くまでには至りませんでした。ていうか、どう考えても警察が無能すぎ・・・。

 さらに欲をいえば、もう少し、登場人物を掘り下げて描写してもらいたかったです(頁数がいまの1.5倍くらいになっても)。後半に出てくる探偵役も、やたら印象が薄く、今後あの人物を主人公とした続編が書かれたとしても、正直、手にとるのがためらわれそうです。

 さて、書店に行ったら、山田正紀著「神君幻法帖」なるものが目に留まりました。カバーの装画が佐伯俊男氏で、反射的に手にとって、帯の解説を読む限り、

 「なんじゃ、こりゃ、まるっきり忍法帖じゃん!」

 巻末の著者インタビュー(聞き手:日下三蔵さん)に目を通してみると、いわく、山田正紀版「甲賀忍法帖」とのこと。

 これは、読んでみるしかないだろう、ということで、さっそく購入したのですが、そういえば、山田正紀氏の本を読むのって、これが初めてだなあ――次作も構想しているそうなので、相性があえばよいのですけれど。

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「十三回忌」①~捜査編

 ――というわけで、小島正樹著「十三回忌」を読み始めることに。

 舞台が静岡県ということを知り、いきなりテンションが上がる(笑)。本作の舞台である本川根町は、むろん、私の住んでいる町ではありませんが、親戚が住んでいるので、幼い頃から馴染みの町なのです(著者の小島正樹氏は、もしかして静岡出身か、なんて思ったりもしたのですが、カバーの著者紹介をみると、出身は埼玉のようですね)。

 第一章での、およそ不可解極まりない被害者の殺害現場の設定に、期待感は高まるばかりなのですが、ひとつ気になることが。

 それは・・・・・・方言です。

 

 「なんだら、これ」

 「ちょっとあっち、中庭のところだら」

 「ああそうそう、駐車場の北に川があるだら」

 「クロスボウ、日本ふうにいえば弩(いしゆみ)だら」

 静岡県中部の人間であるなら、”~だら”という方言に戸惑いを覚えることもないと思うのですが、こう、文章にされてしまうとどこか不自然さを感じてしまうものです。

 そもそも、”~だら”って、この言い方で合っていたかしら? 

 個人的な認識からすると、”~だら”というのは、”~だよね”とか、”~でしょ”という意味合いで使っていたので、そう考えると、この文章はどこかおかしく響きます(人気サッカー漫画「キャプテン翼」の、「ボールは友達だ!」というセリフは、静岡の方言だと、「ボールは友達だら~!」というセリフになるのが正しい、というネタを思い出します)。

 もしかしたら、これが本来の意味合いであり、使い方でもあるかもしれないのですが、なまじ地元の言葉だけにしっくりこないのも確かです。

 とはいえ、続きを読むのが楽しみな作品となってきました。

 

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「世界の終わり、あるいは始まり」

 歌野晶午著「世界の終わり、あるいは始まり」読了。

 同氏の著作を読むのは、「葉桜の季節に君を想うということ」に続き、2作目ということになります。作品の発表順としては、「世界の終わり、あるいは始まり」の方が先のようですね。

 さて、「葉桜の季節に君を想うということ」ではキレイに騙されたので、こちらの作品にも特にミステリーとしての醍醐味を期待していたのですけれど・・・・・・文体は相変わらず読みやすく、最後までぐいぐい引っ張られて読み終えることが出来たものの、後に残るこの消化不良感というか、渋味のようなものの正体は、いったいなんだろう。

 ラストまでついに明かされることのない真実は、この物語の発端である、連続児童誘拐殺人事件でさえもが、あるいは主人公の途方も無い空想だったのではないか、とも考えさせられるような気がするのです。

 事実パートより、空想(妄想)パートの方が、はるかに恐ろしく、救いようがないと感じた作品でもありました。

 次は、「十三回忌」を読む予定です。ネットやらで書評を拝見していると、評価はおおむね良好で、「やられた」感を存分に味わえそうなので、これまた楽しみなのです。

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「ランボー 最後の戦場」

 シルヴェスター・スタローン監督・主演「ランボー 最後の戦場」を観ました。

 「ランボー」シリーズは、1作目と2作目のみ劇場まで観に行った記憶があります。3作目はTVで放送されたときでさえ観る気が起きなかったくらいですが、シリーズ化に呆れたというよりも、もともとランボー=スタローンの熱烈なファンではなかったということで、実際、彼の代表作である「ロッキー」などは、ほとんど目を通していません(「ロックアップ」「クリフハンガー」「デモリションマン」あたりは観ています)。

 さて、そんな、さほど親スタローン派ではないといえる私が、なぜ今回の「ランボー 最後の戦場」を観ようという気になったかといえば、ひとつにはアーケード版で「ランボー」をベースにしたガン・シューティング・ゲームが発売されたという事情も含め、”なぜ、いま「ランボー」の新作なのか?”という純粋な興味と、もうひとつは(大部分はこちらの要素が強いのですが)、キャッチコピーでもあり、劇中のセリフと思われる、「ムダに死ぬか、何かのために生きるか、お前が決めろ」という言葉に、なぜだか強烈に惹かれたためであったから、といえるでしょう。

 ――で、まあ、ようやく始まったレンタルで、本編を観て、ノー天気なランボーの超人アクション映画を、なかば想定していた自分などは、その残虐ともいえる戦場の描写に愕然としたわけです(´・ω・)。

 「プライベート・ライアン」のノルマンディー上陸作戦での、過激な映像にでさえ身が縮こまるような気がした私ですが、あちらは前半の十数分、こちらはほぼ全編通してですから・・・・・・前日に観たほぼスプラッター系の「フロンティア」でさえ、まだまともに思えたくらいです。

 基本的に、都合のよい作風であることに変わりはありませんが、ラストを含め、スタローン印のアクション映画で求められるような爽快感はほとんどなく、アリゾナ州の父親のもとへ帰るランボーの哀愁が印象に残る映画でした。

 あと気になったのは、エンドロールが非常に長かった、ということです。上映時間は91分となっていましたが、本編が80分くらいで、残りの10分がエンドクレジットのようでした。

 

 

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「BLACK LAGOON 001」

 「無限の住人」を視聴するためにAT-Xに加入していたとき、「BLACK LAGOON」の放送がたまたま始まって、ある理由から興味があったので、ちょうどよい機会だとばかりに録画をする準備をしていたのですが、放送開始日をすっかり忘れていて、1・2話を見逃すという大失態を犯しました(おまけにリピート放送まで録画し損ねる、という)。

 その後、再放送を期待して、3話以降の録画を続けたものの、そのうち「無限の住人」が終了して、他に見たい番組もなくなったので、月額1,500円を支払い続けるのにも疑問を感じ、一旦契約を打ち切ることに。そのため、「BLACK LAGOON」は、3話以降録画されているものが、そのままHDD内に放置される、という状況がしばらく続くことになったのですが、この度、よーやく1・2話を見る機会がもてました。

 なんの予備知識も無く、ただリヴォルテック・シリーズで主人公のレヴィが(主人公だよね?)ラインナップされているのを知っているくらいでしたが、以前「鋼の錬金術師」を見たときと同じくらいに画面にのめりこみ、視聴することができました(・・・まあ、人気がありすぎるからと、食わず嫌いであえてスルーを決め込んでいて、実際に見たら、こりゃ人気があるのも頷ける、というような心持です)。

 ――これで、HDDに録画しておいた続きを、見ることができる!

 一旦は消去しようかと考えていたくらいですから、消してしまっていれば、本作を見る機会はさらにずっと遅れていたことでしょう。レビューなんかを読むと、原作とは少し流れが違うような部分もあるとのことで、ならばとちょっと原作をかじってみたくもなりました。

 

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「隠し砦の三悪人」

 「隠し砦の三悪人」をレンタルしてきました。樋口真嗣監督バージョンのほうです。

 黒澤明監督のオリジナル版は未見ですが、「スターウォーズ」の元ネタになった、ということくらいは知識としてありました。

 リメイクといえど、設定にいくつか変更点があったようです。

 ビールを飲みながら観ていたので、最後の30分くらいで眠気が・・・エンドクレジットの時には完全に寝ていたので、結末がわからない(笑)。

 もう一回、最後のチャプターだけ見直しました。

 武蔵と雪姫が、一緒に荒野を馬で「ウフフ・・・アハハ・・・」しながら走り去っていく、「里見八犬伝」エンドを想定していたのですが、あっけなく裏切られる。まあ、主人公側の死人も出なかったし、あれはあれでありかなーと思いました。

 総括すると、「鬼武者 阿部寛バージョン」といったところでしょうか(どんな総括だ)。ゲーム感覚で観れば面白いでしょうし、実際にあんなシナリオの「鬼武者」新作が出たら、プレイしてみたいです。

 ――観終わったあと、なぜか、無性に、「風来忍法帖」が読みたくなりました。

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