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2010年9月

「太陽黒点」

 山田風太郎「太陽黒点」再読。

 この作品を初めて読んだのは、10年以上前のことでしょうか。帯か何かで致命的なネタバレをしたとされる、廣済堂文庫版で読んだような気もするし、それ以前になにか別のところで読んだような気もします。

 先日、山田風太郎記念館で話を伺った日下三蔵氏や、昨年の風太郎祭での公演をされた有栖川有栖氏も、風太郎ミステリーのベスト3の中に、迷うことなく本書を入れており、一般にもそのプロットや動機が高く評価されているようです。

 よくいわれるように、この作品をミステリーとして紹介してしまうこと自体が、一種のネタバレなのですが、これから風太郎ミステリーに手を染めようという方は、いきなりこれを読むのは正直お薦めしません(上位にランクインするもので、いきなり読んでもいいのは、「明治断頭台」と「妖異金瓶梅」)。

 自分も実のところ、一回目の読書ではピンとこなかった部分もあったので、今回久しぶりに再読して、冒頭にすでに物語のプロットを示す伏線が敷いてあることを知り、また山田風太郎の太平洋戦争史観をある程度念頭に植えつけたうえで、これは最低2度は読まなければいけなかった作品だと理解しました――しかも、なるべく短期間のうちに、です。

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風太郎祭 2010

 今年で8回目を迎える、山田風太郎記念館での「風太郎祭」の日程と内容が、HPで発表されています。

 開催日は、例年よりもおよそ一ヶ月早い10月23日(土)に決まった模様で、個人的には内容よりも、こちらのほうが気にかかっていたのですが、むしろ11月よりは余裕をもった行動が出来そうなので、今回も参加すべく、早速スケジュール調整をしようかと考えています。

 さて、今年のメインは、「古今亭今輔 記念落語会」となっており、これまたいつもの文化人による公演とは趣が異なっていて、しかもその演目が、「忍法相伝64」ほか(普通の落語噺も含まれるということでしょう)ということですから、落語という媒体で、山田風太郎の原作がどのように生まれ変わるのか、とても興味深いものがあります。

 古今亭今輔師匠は、個人のHPを拝見したところ、山田風太郎作品に関わらず大変な読書家のようですし、落語という意味でのオチにも、当然期待できることでしょう。

 他には、紙芝居「橘伝来記」の上演もあるそうで、今までに体験したことのない風太郎原作世界の表現が、この日だけで2ジャンルにわたって楽しめるということになりそうです。

 8月に行った時に買いそびれた一筆銭や便箋も、忘れずに買ってこようっと。

 

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「水魑の如き沈むもの」

 三津田信三著「水魑の如き沈むもの」読了。第10回本格ミステリ大賞受賞作となっている本作ですが、シリーズ最高傑作、というわけではありません。

 「厭魅の如き憑くもの」⇒「首無の如き祟るもの」⇒「凶鳥の如き忌むもの」⇒「密室の如き籠るもの」と読んできて、ホラー要素に関しては、「厭魅」「首無」に匹敵するくらいの怖さがありました。

 ただ、導入部の、刀城言耶・阿武隈川烏・祖父江偲という3キャラクターによるやり取りは、この作品に限らず、あんまり面白くないのが難といいますか・・・・・・作者が狙いすぎなのが見え見えで、少々付き合いにくいものがあります。個々のキャラクター造形はともかくとして、彼らのやり取りをひとつの楽しみとして読む人って、どれくらいいるのでしょうか。

 肝心の物語は、いつものこのシリーズのパターンを踏襲していて、概ね満足です。推理が二転三転して、最後に真犯人が示されるのですが、今回の決着のつけ方だと、どうしてもひっかかることが1点ありまして、

 *以下、ネタバレとなりますのでご注意!

 

 ――小夜子が真犯人だとした場合、龍三を殺害した凶器となった、水魑様の7種の神器のうちのひとつを、どのタイミングで手にしたか?

  が、どうしても説明がつかないような気がするのです。樽に生贄として放り込まれた時は、すでに意識がなかったでしょうし・・・・・・ううむ、謎だ。

 しかしまあ、後日譚としての、作者の優しさに敬意を表して、ここはひとつ、不問にしておきましょう(自分の見落としがあったのなら、恥ずかしい限りですが)。

 

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【山風短】第二幕「剣鬼喇嘛仏」第三話

 仕事に忙殺されて、危うく今月の月刊ヤングマガジンを買い逃すところでした・・・・・(2件目のコンビニであっさり見つかったからよかったようなものの)。

 今号については、なにより、登世の、羞恥の表情に尽きますね~。

 素直に、可愛い、と思います。

 この第二幕のために、原作を読み返すということはまだしていませんが、多分、原作ではもっとドライな、作業的な反応をしていたのではないか、と推測するのですが、こういうアレンジをされるせがわ先生には、本当に頭が下がる思いです。

 先生の手による、山田風太郎の別の物語が、まだまだ読めるということを、心から嬉しく感じます。

 原作ともども、「剣鬼喇嘛仏」はもっと評価されるべきでしょう(笑)。

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「よもやまゲェム語」

 iPadに続いて、というわけではないけれど、携帯をiPhone4に変えました。

 なにか面白いアプリがないものかと、iTunesでいろいろ検索をしている最中なのですが、【山田風太郎】で検索をかけてみたところ、「甲賀忍法帖」「くの一忍法帖」のオーディオブックとは別に、「よもやまゲェム語」という、なにやらラジオ番組みたいなものがひっかかりまして、どこに山田風太郎成分が・・・・・・と25回もあるエピソードの中から、第19回「歴史小説etcのぼうの城/しゃばけ/山田風太郎・・・」と銘打った回を見つけ出して、興味津々で聞いてみたのですが――

 結果として、紹介した人、山田風太郎読んでないでしょ、と。

 忍法帖シリーズを、山田風太郎シリーズ・「魔界転生」シリーズと区切ってしゃべっているのも、そもそももどかしく感じるのですが、「魔界転生」を”まかいてんせい”と読んだり、天草四郎が甦った宮本武蔵に特殊能力を与えたとか、原作読んでいたら絶対出てこないようなことを言ったりして、映画しか見ていなかったとしても、「・・・・・・これはひどい」というようなコメントしかしないのに愕然としました。

 とても、本気で薦めようとしているとは思えないような内容です。

 あと、幼少の時分に四肢をわざと切断して、地中をモグラのように進むようになった忍者とか、口中に武器を仕込むためだけに肉体改造した忍者とか(「甲賀忍法帖」の地蟲十兵衛が別人物として解釈されていない?)、汗が酸になっている忍者がいて、「服が溶けちゃいますね」とか、正直、記憶だけではすべてが出鱈目とは断言できないような内容ですが、なんかちょっと違うんじゃね、というような紹介ばかりで、ちょっと目に余るものがあるような気がします。

 ――まあ、これをどの程度の人が聞いているかわからんけれど、誤解を解くためにも一人でも多くの人に山田風太郎を手にとってもらいたいものです。

 しかも、最後に、番組中何度目かの、”山田風太郎シリーズ”、と言いました(笑)。

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「死ねばいいのに」

 先月の誕生日に買ったiPadのことをふと思い出し、京極先生の「死ねばいいのに」を電子書籍で購入しました。

 もともと、これがiPadを買うに至ったひとつの理由ですが、部屋がどんどん本で埋まっていくため、今回のように、欲しい本が電子書籍で出た場合に、iPadで少しでもカバーできればいい、と考えたものです。値段も、いくらか安いですしね。

 とはいっても、そもそも読みたい本の電子書籍化が全然されていないわけですが、これは将来性に期待、というところです。

 同じく京極先生の、”百鬼夜行シリーズ”の新作が、電子化されて出ても嬉しいですし(あの厚みの本がiPadに収まるのは喜ばしいこと)、そのうち我らが山田風太郎の代表作が電子書籍として新たな流通の機会を得ることも、そう望みのない話でもないでしょう。

 個人的には、「魔界転生」「柳生忍法帖」「警視庁草紙」などの上下2冊物や、「人間臨終図鑑」や「戦中派不戦日記」、その他エッセイものなどをiPad(または同様のタブレットPC)で読めるときがくればいいな、と願っています。

 「死ねばいいのに」も、時間を見つけながら、少しずつ読んでいこうかと思います。

 

 

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《日下三蔵氏の話を聞く集い》②

 記念館の閉館時間である午後5時を少し過ぎて、《日下三蔵氏の話を聞く集い》が開催されました。直前に配布された、日下氏のプロフィールは下記の通り。

 【1968年、神奈川県生まれ。専修大学卒業後、出版社勤務等を経て、現在フリーの編集者、アンソロジストとして活躍中。・・・・・・(中略)特に近年の「昭和ミステリ・SFの名作復刻活動」の仕掛け人の一人とされ、山田風太郎作品の復刊でも中心的な役割を果たしてこられました。

 (中略)風太郎の古い友人である原田裕氏の「出版芸術社」に在籍されたこともあり、当時から風太郎氏本人からの信頼が厚かったとのこと。今や風太郎と風太郎作品の研究においては、わが国の第一人者であるとのもっぱらの評判です。】

 年が自分とさほど違わない、ということに驚きながらも、軽く親近感を覚えずにはいられません。同世代の山田風太郎評が生で聞けるというのは、とても貴重な体験ともいえます。

 編集者という仕事を生業としている知人がいないため、イメージがどうしても貧困になってしまうのは仕方がないことなのでしょうが、館長さんに紹介された日下氏は、どこか釣り人か、登山家を思わせるような風貌をしていました。――まるで、ぶらりと、通りすがりに山田風太郎記念館に立ち寄ったかのような風情です。

 風太郎作品との出会いから、話が始まりました。高校生の時に、「黒衣の聖母」を手にして読んだところ、めっぽう面白かったとのことで、それから風太郎について調べ始め、推理物⇒忍法帖という流れで、風太郎作品を読み漁っていたそうです(一ヶ月で40冊というから、驚きです)。

 大学卒業後に、前述の原田氏と知り合い、「出版芸術社」に入社。当時他社から出版されていた「虚像淫楽」が、風太郎の代表作を網羅していたにも関わらず、物足りなさを拭いえず、「全集を出してみたらどうか」という案を原田編集長にぶつけたところ、原田氏は即先生に電話をされ、日下氏は桜ヶ丘の風太郎宅へ向かうことになりました。

 これが、この後、風太郎作品が数多く復刊される、ひとつのきっかけとなります。

 ところが、当時、風太郎先生ご本人は、自作の推理物は出来がよくないと思っていたらしく、「自分は時代小説家だから」と、推理物の復刊には気乗りがしなかったようです。それを、日下氏は、「とんでもない、先生の推理小説は素晴らしい作品ばかりです!」と説明し、いくつか出版の許可をいただくことになりました。

 あとは、どれだけ先生から出版の許可を引き出せるか――

 日下氏の信条は、名作と呼ばれる作品以外のものが、2~3年で書店から消える現状を憂い、少しでも手に入る作品が増えるよう、各出版社に働きかけることであり、風太郎作品については、それが極端に使命化されてしまったようなもので・・・・・・わかりやすく言うなら、このうえもない推理小説オタクであり、風太郎マニアなのです。

 こういった日下氏の精力的な活動のおかげで、光文社からは「山田風太郎ミステリ全集(全十巻)」が出版されることになりましたが、このときばかりは風太郎先生も、全集ということで、収録作品のダメ出しがしづらかったらしいです。

 そして、この全集の第5巻が刊行されたとき、風太郎先生がお亡くなりになるのですが、この後の7~9巻には、ダメ出しされていた作品をごっそり入れたらしく、先生が生きておられたら、どんな渋い顔をされたか、と確信犯的に言うところを見ると、腹黒い一面もあるようです(笑)。

 

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