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「忍法剣士伝」

__2  そういえば、行ってから分かったことなのですが、鹿島神宮の鎮座する鹿島は、剣聖・塚原ト伝の生誕地だそうで――

4800_20080701174321  塚原ト伝をNHK大河ドラマ化にしたい! ということで精力的なキャンペーン(署名運動)を実施しておられました(地元民ではないのでそのままにしてきちゃったけど、署名してくればよかったかな。と、少々後悔の念にかられていたら、ネットでも署名運動に参加できるようです)。

 山田風太郎的にアプローチすると、「忍法剣士伝」ということになります。

 【塚原ト伝。

 このとし八十六歳。

 常陸塚原の人。本名は高幹という。

 祖父高安が同国香取の大剣人飯篠長威斎に天真正伝神道流を学び父の新左衛門安重も長威斎の高弟松本備前守から一の太刀の秘伝を受けたが、ト伝はそれらすべてを総合し、おのれの血肉として新当流を編み出して、世人はこれをト伝流と呼んだ。

 ただしト伝というのは晩年入道してからの号で、それまでは塚原土佐守という名で世に知られた。

 一生のうち、戦場に出ること三十七度、真剣の試合をすること十九回、斬った敵の首は二百十二に達したが、その間六か所の矢傷以外、一か所の刀傷槍傷も受けたことがなかったという。】

 宮本武蔵との「鍋蓋試合」は史実ではないようですが、「無手勝流」と「家督相続」の話は、この大剣人らしい逸話と言えるでしょう。

 山田風太郎著「忍法剣士伝」では、飯綱七郎太の姦計によって、他の十一人の剣士・剣豪・剣鬼たち諸共に畜生道に堕とされかけますが、弟子の上泉伊勢守とともに果心居士の魔道を払拭する塚原ト伝の描写は、まさに剣聖と呼ぶに値するものです(といって、この文章を読まれて「忍法剣士伝」を初めて手に取られるという方は、せいぜい腰を抜かされぬようご注意を!)。

__3 最後に、鹿島神宮前の街路にはこんな石碑までありました。「藤枝梅安生誕地」の枯れ具合を視認した身としては、うらやましい限りの力の入れようです。全国各地の剣豪ゆかりの地にも巡ってみたくなっちゃいます。     

 

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