「忍びの卍」
「忍びの卍」再読。
他の、複数VS複数の忍法帖とは趣を異にし、むしろ短編の構想を長編に仕立て上げたような本作ですが、これがまた面白く、普段なら泡のように消えていく忍法使い達の飽くなき探究心が、時にはユーモラスに時には残酷に、風太郎の冴え渡る筆によって描かれ、大陰謀の車輪を回していくのです。
【山田風太郎ベストコレクション】の本作の帯には、せがわまさき先生の推薦文として、
”読むたびに思う。忍法帖って「絵」だよなぁ・・・と。”
と書かれており、私自身も常々そう感じることが多いのですが、本作の中でもっとも「絵」としての完成度が高いのは、やはり、ラストの雪が霏々として降りしきる庭のシーンでしょう。
登場人物が少ない割りに感情移入がしやすい人物がいないのもこの作品の特徴のひとつといえます。それは、「大義、親を滅す」という任務に囚われた人々の悲愴感から由来するものでしょうか。
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