忍法帖

生死一眼(忍法帖の世界⑥)~和歌山城

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 【ふしぎな空だ。黒い乱雲が渦まきながれているのに、ときどき金色の光がさす。そのたびに大空に、三層の大天守閣が墨色に浮かびあがり、また金色にきらめいた。

 和歌山の中央にある虎伏山にそびえる和歌山城であった。】

 宿泊したホテルが和歌山城のすぐそばにあり、部屋の窓から、上に載せたような高い位置からの写真を撮ることができました。城めぐりをする場合、近くに宿をとっていない限りは、たいてい天守閣は下から見上げたような格好の写真しか撮れないので、じゃらんnetでの宿泊先検索は非常に役に立ったといえます。

Photo  ちなみに、今回泊まったのはこちら(←)。朝食バイキング付きで、2人で13,000円ほどでした。

Photo_2  ライトアップされた和歌山城もキレイ(写真はぼけてしまいましたが)。部屋からのショットも狙っていたのですが、ご飯を食べて戻ったら、電気消えてるし。(´・ω・)

 ・・・どうやらライトアップはPM10:00までだったようで。

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Photo_4 【屋根は三層であるが、徳川御三家の威を具現して、よそにある五層の天守閣などよりはるかな巨大感を持っている。これがあまりに雄大なので、幕府から嫌疑をかけられたとき、頼宣は大笑して家老の安藤直次に、「・・・・・・余に異図あらば、進んで大坂城に拠るべし。なんぞ区々たる和歌山城を保守せんや」と、いいぬけさせたという。】

 柳生十兵衛が、ふところ手をしながら振り仰いだこの時代の天守は、弘化3年(1846)の落雷で焼失してしまったようです。4年後の嘉永3年に再建されたものも、昭和20年の戦火で失せ、現在のものは昭和33年に復元されたものだとか。

Photo_6  虎の伏した形に見える、というので虎伏山ということらしい。

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西国第二番札所(忍法帖の世界⑤)~紀三井寺

Photo 紀三井寺。「魔界転生」で、柳生十兵衛一行が、和歌山城下に巡礼姿で乗り込んだ折、門前の空き地に正木坂道場出張所を開いた場所です。

 【正しくは金剛宝寺といい、宝亀元年唐の為光上人の建立にかかるという。古儀真言宗に属し、西国第二番の霊場となっている。名草山という山の中腹にあり、六万余坪といわれる境内の絵馬堂からは、和歌浦の風光から淡路島まで一望のうちにおさめることができる。】

 道成寺での、柳生如雲斎との一戦から、ここ紀三井寺に至るまでの経緯や、道場を開いてからのいきさつがとにかく面白く、直接転生衆と剣をもって対峙するわけではないのですが、「魔界転生」の舞台を巡る旅には欠かせない場所といえるでしょう。

Photo_2 桜門を抜けると、直線状の長い長い石段が(231段とか)。登らないわけにはいきません。

Photo_3 石段の途中に、紀三井寺の名称の元となった、三つの井戸のうちのひとつ、「清浄水」がありました。

Photo_4 地元の久能山東照宮の石段に比べれば、急とはいえ、まあ楽な方です(久能山は傾斜が緩やかですが、その分距離があるので)。ここは、転んだらタダでは済みそうにありませんけど・・・。

Photo_5 最上段から、下を見下ろすとこんな感じです。

Photo_6 遠方から見ても目を引く仏殿がこちら。木造では日本最大の大千手十一面観音菩薩が入佛されています。今年の五月に落慶法要が営まれたばかりだそうで、つまり、十兵衛が道場の出張所を開いた寛永年間にはなかったものです。

Photo_7 仏殿からの眺望が素晴らしく、まだあまり寒くないので、風が気持ちよい。

Photo_8 海と山に挟まれた地形のせいか、地元を彷彿とさせる景色が、ときおり心を和ませてくれました。

Photo_9 仏殿から見た本堂の俯瞰図。紅葉の季節には早かったのが、ちょっと悔やまれました。春には早咲きの桜で有名なお寺でもあるそうです。

Photo_10 本堂。

Photo_11 さて、「公議に知らせれば、江戸柳生もつぶれるぞ」という如雲斎の捨て台詞に、足止めを余儀なくされていた十兵衛も、罠と判りきったお品の提言を、あえて受け入れることにします。

【彼はただ点火を待っていただけであった。

 ここで黙然と腕こまねいていられぬことは自明の理だ。事実、座り込んでいる一刻ごとに事態は悪くなっている。にもかかわらず、座り込んでいたのは、うごくにも法がないということより、例の柳生云々という如雲斎の呪文に封じられていたのだ。それをふり切るためには、十兵衛にとってやむを得ぬ時間の足ぶみであったといってよかろう。

 いまや、敵の使者は来て、へたな手つきで火をつけた。

 点火の上手下手は問わず、待ち受けていたもののごとく彼は燃えあがった。】

 このあたりの言い回しは、さすが風太郎というか、「柳生忍法帖」において、柳生十兵衛がただ一人、敵の本拠地である鶴ヶ城に乗り込む場面を想起させ、大いなるカタルシスの爆発を予感させるのです。

 【やがて、紀三井寺の石段に、深編笠の姿を現した柳生十兵衛は、腰の愛刀三池典太のつかを、かろく一つ、とんとたたくと、たたたた、と石段を風のように駆け下りていった。】

 

 

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忍法帖の世界④~根来寺

 ―――根来寺といえば、根来忍法僧。忍法帖ではいまいち華のない(むしろやられ役)彼らの本拠地が、ここ和歌山にあろうとは。

 根来という単語にはピンときても、敵役としての存在以外では本当に薄ーい印象しかないもので、うっかり見過ごす所でしたが、「魔界転生」にも次のような記述がありました。

 【和歌山から紀ノ川に沿うて東へ四里。その紀ノ川の北岸に、岩出という村がある。その北側の小さな丘の竹林の中に、山伏たちがむらがっていた。ここからみれば、紀ノ川とならんで、東西に紀伊国を切る街道を見下ろすことができる。

 根来忍法僧たちであった。

 彼らの本拠根来寺は、この村から二里、すぐ北へ入ったところにある。】

 歴史は古く、国宝の大塔や庭園が有名のようです。

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 この門から忍法僧が駆け出してくる様を思い浮かべると、ぞくぞくしてきます(やられ役的な意味で)。

Cimg2323  境内。ひと気は少なく、敷地の手入れもあまり丁寧と見えないのが、この寺の荒々しい気風を物語っているものか、と勝手に妄想。

Cimg2328  池にかかった橋の、「マムシ注意」の看板にびびる。

Cimg2329  マムシ、本当に出るのかなあ・・・。

Cimg2338  池の景観は風情がありました。花の綺麗な季節には、また違った様相を見せることでしょう。

Cimg2340  ・・・・・・ちょw。「修行中」はいいとして、これって、あれですか。

Cimg2342  残念ながら、この日は大塔の補修中で、間近で見ることは出来ませんでした。

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Cimg2348 駐車場にはやたらたくさんの野良猫がいて、タクシーの運転手さんが弁当のおかずを分けていました。エサ目当てと知りつつも、それなりになつっこくて可愛い。自分がコーヒーを飲んでいる間に、彼女がひざに乗った猫をおろそうとしたら、背中に回りこんできたそうです(笑)。

 境内には怪我を負ったシロネコがにゃあにゃあ鳴いていましたが、社務所の人は完全無視でした(珍しくも無い事なのでしょう)。

 最後に、根来忍法僧が活躍する忍法帖で、一番好きなのは、やっぱり「伊賀忍法帖」です、先生!

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西国第三番札所(忍法帖の世界③)~粉河寺 其の弐

 話を本筋に戻します。「魔界転生」で、作者は粉河寺を次のように紹介しています。

 【この寺は奈良朝時代の創建で、開基の年代からいえば、高野山よりもっと古い。平安朝から室町時代にいたっては、堂塔すべて五百有余年をかぞえたという。が、みずからもつ威厳のためにかえって豊太閤に抵抗して、天正十三年、全山焼き払われた。

 その後、ふたたびほそぼそと再建にとりかかり、頼宣が入国してからは多少の援助があったとはいうものの、なおこの当時、風猛山の麓、一万五千余坪の境内は、ただ茫々と吹きなびく秋草の野といってもいい状態であった。】

  いうまでもなく、「魔界転生」作中で、粉河寺は柳生十兵衛と天草四郎の決着の場となりました。同時に、父である柳生但馬守が、転生衆の中に存在する事を天草四郎から聞き、十兵衛の苦悶と懊悩が始まる場所でもあります。

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←粉河寺大門。天草四郎が、御詠歌を口ずさみながら、お品に狼藉を働いたのは、この大門の屋根の上であったでしょうか。

Photo_13 大門の内側。左手に土産物屋兼、食事処があって、ここで先に昼食を摂ることにしました。そばを注文すると、「よかったら柿寿司もどうぞ」と薦められる。自分たちは食べませんでしたが、他の客のテーブルにもれなく柿寿司が置いてありました。

 自分の記憶に間違いがなければ、お店の屋号は「たのもしや」だったような・・・。どこかで聞いた名前だな、と思ったら、御詠歌の「仏の誓い たのもしの身や」から来ている?

Photo_14 ←こちらは中門。

 待てよ、【粉河寺の山門の石段を、たたたたと駆けのぼっていった】という描写から察するに、戦いの舞台はこちらの方??

Photo_15 大門から中門までの距離は、200メートルくらい。

 

 【「十兵衛さまっ」

 空から声がきこえたのは、山門を境内へ走りぬけようとしたときだ。

 同時に、その内側の軒をかすめて、どっとひとつの肉塊がおちて来た。一瞬、上を仰いで、それを受け止める。・・・・・・

 ――変幻自在の女忍者の出没におどろくよりも、

 「きゃつ。――」

 切歯の声とともに、同じく山門の上から境内へ――三四間もかなたへ、ぽうんと飛び下りたもう一つの影に、柳生十兵衛はきっと隻眼をむけていた。】

Photo_16 ←中門内側。戦闘の場所としては、こっちのほうがしっくりきますねえ。

 映画や舞台等の他媒体で、天草四郎はラスボスとなっているがゆえに、粉河寺での名(迷)勝負が一度として映像化されていないこと(劇画除く)に不満を覚えます(笑)。原作のここのくだり、好きだわー。

Photo_17 寺ですから、当然本堂もあります。南東側には立派な楠木も。山門のことしか頭になかった自分って一体・・・。

 巡礼姿の参拝者が多く見受けられたのも印象的でした。一度、本気で西国三十三ヶ所めぐりをしてみたいものです。

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Photo_19 上の写真の看板通りに、孔雀もいました。

 さて、ここからそう遠くない場所に根来忍法僧の総本山があったのです。

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西国第三番札所(忍法帖の世界③)~粉河寺

 今回の和歌山行きで最後まで悩んだのが、行き先の選定でした。山田風太郎の「魔界転生」の舞台となった史跡・名所をめぐるという野心は数年前からあったのですが、あのだだっぴろい紀伊半島を1泊2日で回るのはとても無理な相談で、青岩渡寺→三段壁の道のりの遠さを地図を見て改めて思い知り、最終的に和歌山城を中心とした「魔界転生」の舞台を巡るということで落ち着きました。

 柳生→伊賀上野は以前に数回行っているので、いわば「魔界転生」ツアー・第二弾となります。いつになるかは判りませんが、今回の目的地から外した青岩渡寺→三段壁→道成寺を第三弾として、この大いなる目論見は達成されるはずです(笑)。最初から休みを3日とって行けよ、というのは”無し”で・・・。

 さて、和歌山までの道程は、自宅から400キロという距離さえのぞけば、比較的順調なもので(9割方、高速道路での移動だったせいもありますが、なによりナビの存在がでかい)、粉河寺への到着予定時間が1時間近くも早まりそうになったため、急遽通り道にあった法隆寺への寄り道を決めたくらいです。

 その寄り道のはずだった法隆寺での滞在時間が存外に長くなってしまい(見応えありすぎるでしょ、あそこ)、粉河寺に着いたのは、午後一時を少し回った頃でした。

 まず駐車場を探します。山門の50メートルほど手前に、個人経営の駐車場を見つけたので、ひとまずそこへ。ほぼ満車状態でしたが、ちょうど一台抜けたところで、「ラッキー」と思いつつ、少し狭いスペースに止めようとひいこらしていると、先に降りた彼女が、「こっちのほうが広いって!」と声をかけてきました。見ると、駐車場のオーナーさんが出てきていて、奥のスペースへと誘導してくれました。

 ―――で、ここで意外な生き物に出会う。「わ、びっくりした」という彼女の視線の先にあったものはというと。

Photo_11 ←猛禽類でした。しかも2匹。

Photo_10 聞くと、他にもカラスがいるといいます(確認できたところでは鶏と、犬も2匹いました)。こんなに間近で見る機会も少ないし、まず飼っている人が知り合いにいないから、ちょっと得した気分になりました。

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忍法帖の世界②~甲賀

 「甲賀忍法帖」は「こうがにんぽうちょう」と読みますが、「甲賀」の読みは、本来「こうか」というそうです。地名に因る名称とのことなのですが、6月の上旬に大阪へ仕事で出張に行った帰りに、できたばかりの新名神をたまたま通らなかったら、こんなに急に甲賀へ行って見ようという気にはならなかったかもしれません。

 忍術に関してのみ「こうが」との誤読(?)が一般的となっているというのは、伊賀は普通に「いが」と発音するためでしょうか。

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 いや、甲賀といっても甲南町にあるこれを、「甲賀忍法帖」とひっかけるのは、非常に苦しいというのは百も承知ですよ? 弦之介たちの暮らす卍谷は、甲賀信楽にある設定なわけですし。

 まあ、でも気にしない!

 さて、この「甲賀流忍術屋敷」は、甲賀忍者五十三家中の筆頭格・望月出雲守の住宅として元禄年間に建築されたもので、忍者の住居としては、日本で現存する唯一の建物だそうです。伊賀にある忍者屋敷は、この「甲賀流忍術屋敷」を参考にして作られたとかで、意外に侮れません。

 傍目には一般の住宅のようにも見えますが、内部には外敵に備えた忍者的な備えが盛り沢山です。忍者屋敷に付き物の、どんでん返しやからくり窓は伊賀流忍者屋敷でもお目にかかれますが、こちらで唯一(唯一かよ)興味をそそられたのが、地下の隠し通路へ通じる竪穴でした。

02 ←深さは3メートル程だそうで、横に開いている穴が裏庭へと繋がっていて、有事の際には敵の目を欺いて、外部へ逃れる脱出口となったようです。余談ですが、ガイドのおじさんがこの穴に眼鏡を落としたとかで、「拾いに降りたら底の水がにごってしまった」と言っていました・・・ハハハ。

 あと、見逃せないのは、やっぱり忍者ですよ! そこかしこに忍んでいる闇の住人たち!

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 ・・・・・・ふう。

 それにしても、私たちが着いたのと同じ時間帯に来た観光客が一人いて、それは東南アジア系の女の人だったのですけれど、ガイドのおじさんの説明、ちゃんと理解できたかなあ。タクシーで乗り付けていたんで、ここの後にどこを回ったのか、なかなかどうして興味のある存在ではありました。

 最後に、ちょっとなごんだポスターをひとつ。

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←左のトゲトゲはいわゆる「まきびし」で、2個100円でお土産としても売っていました。ごちそう、なんだねー(笑)。

 ―――ああもう、「甲賀忍法帖」から引用のひとつでもしとかないと、締まりませんねえ。

 【柳生宗矩はあたまをさげた。但馬守に任ぜられたのは後年のことだが、徳川家の剣の師たるの地位はすでに占めていた。

 彼のひたいには、うすい汗さえにじんでいた。

 「柳生の庄とは隣国の伊賀、甲賀に、かような忍者がひそんでおることを存ぜなんだ拙者の不覚、ただただ恥じいるばかりでございます」】

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忍法帖の世界①~鍵屋の辻

Photo 鍵屋の辻といえば、「魔界転生」において柳生十兵衛と荒木又右衛門がその雌雄を決した場所ではありますが、もともと荒木が義弟の渡辺数馬の助太刀をして、三十数人の大集団を相手に死闘を演じ、みごと仇討ちの本懐を遂げた場所として有名です。

 初めてここを訪れたのは、かれこれ10年以上前のことになりますか。その時も、もちろん「魔界転生」の舞台のひとつということを意識してはいたのですが、 まさか3度もくることになろうとは思いもしませんでした(笑)。この場所は、歴史好きの人には名前はそれなりに通っているところだとは思いますが、伊賀越えの復讐の記念碑と、資料館がひっそりとあるだけで、普段静かな佇まいを見せているところが居心地が良くて好きです。

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 とはいえ、伊賀越資料館のある公園と同じ敷地にある数馬茶屋さんには、ドラマなどのロケ隊が来ることも多いようで、そのときは大いに賑わうのでしょうね。毎回お蕎麦をお勧めされますが、今回自分は腹が空いていなかったのでグリーンティーを、同行の彼女は蕨餅を注文して頂きました。

Photo_2  ←自家製の蕨餅に彼女はウハウハです。私はきな粉自体は大好きなのですが、これはちょっと苦手で、味見は断念しました。

 さて「魔界転生」では、鍵屋の辻の仇討ちは次のように描写されています。

 【いわゆる伊賀越えの復讐は、たんにやや規模の大きい仇討ちであったというだけではなく、実はその背景に大名対旗本の対立という重っ苦しい時代相をもった事件であって、又右衛門は首尾よく義弟の助太刀をして敵河合又五郎を討ったものの、又五郎の後ろ盾となった旗本一派の再復讐を警戒してか、もとの主君大和郡山の松平家から、因州鳥取の池田家に籍を移した。

 鳥取に移った又右衛門は、その仇討ちからわずか三年を経ずして、この世を去った。享年四十一歳という。】

 大名対旗本の対立の結末の興味以外にも、他流試合をしないという柳生新陰流の剣士・荒木又右衛門が、別の流派の剣士とどう戦うのか、その去就にも民衆の耳目が注がれていたそうです。

03  また「魔界転生」からの引用。

 【「これよ、上野はまだか」と、兵庫頭はきいた。

 つきそっていた武士は、主君用の乗物からくる錯覚か、まるで頼宣そのひとに対するもののようにうやうやしく答えた。

 「やがて、鍵屋の辻にさしかかりまする」

 「鍵屋の辻。―――」

 鍵屋の辻は、奈良方面から上野へ入る入り口にある。この街道はそこから二つの坂に分かれて、右へ上るのを塔世坂、左へ上るのを北谷道といい、塔世坂の角に万屋、北谷口の角に鍵屋という茶店があった。】

 ・・・・・・坂の写真を撮って来なかったのは残念至極ですが、確かにふたつの坂があり、比較的車の通りが多いのがここでいう北谷道で、この後、荒木に変装した十兵衛一派が塔世坂を、本当の荒木一派が北谷道を駆け下りてくる事になります。

 

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