あの花夏祭inちちぶFinal
今年5月の秩父地方での神社巡りの際に、偶然知った「あのはな」のイベントに参加してきました。
今日のめざましTVでその時の模様が紹介されましたが、嫁さんがちらっと映っていて笑ったw 運営の拙さに苦言を呈したいこともあるけれど、総じて行って良かったと思えるイベントでした。
秩父へはまだ足を運ぶことになりそうです。
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今年5月の秩父地方での神社巡りの際に、偶然知った「あのはな」のイベントに参加してきました。
今日のめざましTVでその時の模様が紹介されましたが、嫁さんがちらっと映っていて笑ったw 運営の拙さに苦言を呈したいこともあるけれど、総じて行って良かったと思えるイベントでした。
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日曜日の早朝6時半から放送していた「からくり侍 セッシャー1」が本日をもってめでたく大団円となりましたので、舞台となった静岡市駿河区の駅南銀座に行ってきました。
通りの街灯には、セッシャーとスプラッシュ星人をデザインした旗が掲げられていて、なんとなしに池袋や鷲宮町へ行ったときのことを思い出しますw
作中の重要侵略アイテム「チュークリーム」を、洋菓子店“ふりあん かどや”さんで購入!
店内には、出演者のサインが飾ってありました。他に少量ながらグッズ販売もあり、嫁さんがストラップ2種とてぬぐいを購入。
こちらも、いいように使われていた“清見そば”さんでは人気のラーメンを食べました。
これでお値段450円は安すぎる・・・・・・。注文時、「おばけそば」という商品が気になって店員さん(ちなみにこの説明をしてくれた店員さん、「セッシャー1」本編に出ていたと嫁さんが教えてくれました)に聞いたところ、
「たぬきときつねの“化かしあい”ということで、お揚げとてんかすとわかめをトッピングしたおそばになっています」
と、懇切丁寧に説明してくださいました。結局、頼んだのはラーメンですが。
こちらもよく撮影が行われていた神社。「千勝浅間神社」が正式名称らしく、神社好きとして胸のつっかえがとれた気分に。主祭神は、神社名からも分かるとおり、コノハナサクヤビメ。
この拝殿の前でぬるいやりとりが行われていたかと思うとw
午後3時過ぎ、スプラッシュ星人とセッシャー1が満を持して登場! 上述の神社に行く道すがら、100人はいたであろうファンと記念撮影をしたり、握手をしたりしていました。
神社の境内では本気モードの記念撮影会が。自分も折角なので、セッシャー1とスプラッシュ星人との3ショット撮影をしてもらいました。ポーズをとっている間、スプラッシュ星人に銃でわき腹をぐりぐりされたのは、いい思い出になりました(笑)。
それにしても、そこかしこでいい具合にスプラッシュされてたなあ。
帰る間際に、“クリタパン”の前まで行ったところ、OPでセッシャーに斬られ続ける店主さんにスプラッシュ星人型のクッキーをいただきました。タイミング的に絶妙だった。また来るぜ、駅南銀座!
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前回に続き、奈良へ旅行したときに食べたもの、いろいろ。
大神神社の末社のひとつ、久延彦神社の近くにある食事処で食べたのは三輪そうめん。昨年に参拝してからずっと気になっていたものです。麺は通常知っているものよりも細く、コシがありました。午前に“川端風太朗”でケーキを食べて以来のランチで(時刻は3時近くになっていたと思います)、結構歩き回って疲れていたせいもあり、空腹に染み入る旨さでした。
嫁さんはとろろのかかったものを注文。そうめんにとろろをかけるという発想がまったくない静岡県民にとっては(多分)、驚愕の美味さ。この日に宿をとった橿原神宮駅前のホテルの朝食バイキングでも、とろろとそうめんという組み合わせがあり、地元では定番の食事なのですね。ホテルのとろろは単品でもとても美味しく、朝食を終えて部屋に帰る直前に、「ごはんにかけて食べとけばよかった!」と嫁ともども後悔しました。
こちらは奈良ならではの食べ物ではありませんが・・・・・・一言主神社へ向かう途中で、やたらでかい看板が目に付いたので寄ってみた、“日本一たい焼”さんのタイヤキです。日曜日というせいもあってか、駐車場に他のお客さんの車が多く止まっていて、地元で美味しいタイヤキ屋さんを知っている我々にとってどれほどのものか、という興味も湧かせてくれました。
あとで調べてわかったのですが、こちらは一度に焼ける量が少なく、また大量に買っていくお客が多かったので注文から購入まで30分近く待たされることになりました。その間、お店のテーマソングらしきものがエンドレスでかかっており、記憶に焼きつくくらいのインパクトがあったのですが、その待ち時間に見合うだけの価値はありました。
もっと調べると、最近静岡にも出店していて、それならばと三嶋大社に参拝した帰りに寄ったくらいの間違いなさです。ただ、あれだけ奈良で延々聴かされたテーマソングがかかっておらず、嫁さんに聴かせかったのにちょっとがっかり(奈良では車で待機していたので、自分しか聴いていないのだ)。頻繁にいける距離ではありませんが、贔屓にしたいと思います。
最後に、家路につく途中で食べたのは、天理スタミナラーメン。これも奈良に行くたびに気になっていたものなので、今回念願の初体験となりました。シャキシャキした白菜と豚肉のトッピングがまず美味い。スープはピリ辛でニンニクが程よく効いて、割りとクセになりそうな味でした。
クセになるといえば、
天下一品のスタミナラーメン。数ヶ月に一回は無性に食べたくなり、近所にないのでわざわざ浜松まで食べに行くことがあります。ネギを山盛りにして、特性のニンニクを溶かして食べると、このうえなく幸せな気持ちにw
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先週末、奈良に旅行へ出かけた折、かねてから気にかかっていたお店に行ってきました。
その名も「川端風太朗」。ちなみにケーキ屋さんです!
店名だけでもうお分かりかと思いますが、我らが山田風太郎先生の名前が由来となっているそうで、「川端風太朗」さんのHPを見ると、お店の紹介に下記のような記述があります。
【ちなみに川端風太朗というのは屋号で、社長の名前ではありません。作家の山田風太郎さんの生き方に憧れてつけさせていただきました。山田風太郎さんの奥様や娘さんにご来店いただいたこともありまして店内にはその時いただいた山田風太郎さんの作品がありますのでどうぞご覧ください】
店舗外観と、店舗入り口に掲げられた看板。
山田風太郎の名前を冠したお店がある、という話は実は数年前からキャッチしていて、いつか行こうと思っていたのですが、どこからの情報だったかよく覚えておらず、しかもそれがケーキ屋さんだった、というのはここ数ヶ月のうちに知った事実でした。でも甘いものは大好きなので、「それならばなおのこと」と更に行く気が漲ってきたという(笑)。
車での移動なのでテイクアウトはせず、店内でいただいていくことにしました。
私の注文したのは、風をイメージしたという、その名も“風”(こちらはいくぶん名前で選んだところがあります)。
同行の嫁が選んだのは“フルーツショート”。
お店のこだわりは季節の旬の果物を使うということだそうで、素材の美味さは当然のことながら、パイのサクサクした歯ごたえや、甘さ控えめのクリームとのコラボレーションは、まさに絶妙! の一言でした。
ショーケースに並べられた他のケーキもとても旨そうでしたが、昼食前ということで後ろ髪を引かれる思いながらも追加オーダーをぐっと我慢し、次の機会にとっておくことにしました。ただ、せっかくなので保存のきく焼き菓子を、数点お土産に買って帰ることに。
帰り際に、気になっていた【風太郎先生の奥様からいただいた作品】というのが何であったのかが判明しました。てっきり先生の描いた、書または絵の複製(もしくは原本)でも飾ってあるのかと考えていたのですが、待ち時間や喫茶コーナーで読めるようにと著作が数点置かれていて、その中には最新刊の「風さん、高木さんの痛快ヨーロッパ紀行」も含まれていたのでした。
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第八回風々忌のあと、午後の貴志先生の講演会までの時間を利用して(3時間ほど)、一路豊岡へ向かいました。
目的は中嶋神社参拝です。
中嶋神社について。
【田道間守を主祭神とし、天湯河棚神を配祀する。
田道間守は天日槍命の五世の子孫で、日本神話で垂仁天皇の命により常世の国から「非時香果(ときじくのかぐのみ)」(橘のこと)を持ち返ったと記される人物である。橘は菓子の最上級品とされたことから、菓子の神・菓祖として崇敬される。】
当初、行く予定はなかったのだけれど、道の駅で手にしたパンフレットに嫁が唐突に食いつき、「行きたい」とせがまれまして、豊岡ならそう遠くもないし、また山田作品とも関わりがある人物を祀っている神社なので、否応もなく賛同した次第です。
拝殿。創建は室町期というから、かなりの年代ものです。
田道間守(タジマモリ)の名前が元になったという、橘の木が植えられていました。
ちなみにこの田道間守という人には、上の説明にあるとおり、垂仁天皇の命令で常世の国から“非時香果(ときじくのかぐのみ)=橘”をやっとの思いで持ち帰るのですが、そのときにはすでに天皇は崩御されていて、哀しみのうちに殉死した、という言い伝えがあり、山田風太郎にはこのお話を題材にした「橘伝来期」という小説があります。
昨年の風太郎祭でも紙芝居で取り上げられた物語なのですが、嫁はそのことはすっかり忘れている様子――まあ、しゃーないか。
御朱印をいただき、風太郎記念館のある関宮へと戻ります。お昼を食べても講演開始時刻にはまだ余裕があったので、講演のあるノビアホールへ行く前に、記念館をちょっと覘いて行くことにしました。
さて、入ったはいいけれど、事務所に女性がひとりいるだけで、あとは誰もいません。どうやらみんな、とっくにノビアホールへ行ってしまったみたいです。すぐに向かおうかとも考えましたが、せっかくなので交流ホールの写真を撮ることにしました。
過去に講演された諸先生のサイン。昨年の風太郎祭で記念落語を行った古今亭今輔師匠のサインもあります。
今回講演で来館している貴志先生の「悪の教典」も展示されていました。横の黒い表紙の小冊子がものすごく欲しい(笑)。
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4度目の伊勢参りにして、初めて外宮に。
思えば、1月に予定していたのが天候のくずれで行き先を変更したり、自身の交通事故や、3月の大震災でのびのびになってしまっていたのが、この5月に入ってようやく実現の運びとなりました。
曇り空ではありましたが、直前まで降っていた小雨もやみ、晴れて外宮にお参りすることができました。内宮と比べると、ぐんと参拝者の数も少ないようですが、それだけにじっくりとお参りができます。
本殿のすぐ側に注連縄で囲われた石があり、なにやら人だかりが。どうも「三ツ石」と呼ばれるパワースポットらしいのですが、皆さん石に手をかざしているのを見て、つられて真似してしまいました。本来境界を越えて踏み込むのはまずいんでしょうけれど・・・・・・。私は、どうもパワースポットとかいう言葉が好きではないです。
さて外宮への参拝を済ませ、内宮へお参りする前に、お腹が空いてしまったので、時間も少し早かったのですが、おかげ横丁で食事をすることにしました。伊勢参りといったら、やはり伊勢うどんでしょう。
食事を終え、いざ内宮へ。本殿へ向かう前に、昨年のお守りを納札所へ納め、やっと務めが果たせたような気がします。五十鈴川は今日もキレイ。
石段を登り、内宮本殿へ。1月ほどではありませんが、それでも参拝者は多く自分の順番になるまで少し待ちました。
その後、おはらい町やおかげ横丁を散策。主に買い食いをします。
別宮月読宮には4つの社殿が並びます。手前から、イザナミ・イザナギ・ツクヨミ・ツクヨミ(荒御魂)が祀られており、参拝にもしっかり順番があるのですが、それを知ったのは参拝後のことでした。
ツクヨミ⇒ツクヨミ(荒御魂)⇒イザナギ⇒イザナミ
という順番が正式なのです。ちょっと考えれば、わかることだったのに・・・・・・! 人がいると、ついつい空いてる方から、という気になっちゃうんですね。
そしてこの月読宮で、とても素晴らしい参拝をする人たちを見かけました。参拝する姿に感銘を受けたのって、多分、初めてのことです。
来年も、伊勢参りに行けますように。
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そういえば、行ってから分かったことなのですが、鹿島神宮の鎮座する鹿島は、剣聖・塚原ト伝の生誕地だそうで――
塚原ト伝をNHK大河ドラマ化にしたい! ということで精力的なキャンペーン(署名運動)を実施しておられました(地元民ではないのでそのままにしてきちゃったけど、署名してくればよかったかな。と、少々後悔の念にかられていたら、ネットでも署名運動に参加できるようです)。
山田風太郎的にアプローチすると、「忍法剣士伝」ということになります。
【塚原ト伝。
このとし八十六歳。
常陸塚原の人。本名は高幹という。
祖父高安が同国香取の大剣人飯篠長威斎に天真正伝神道流を学び父の新左衛門安重も長威斎の高弟松本備前守から一の太刀の秘伝を受けたが、ト伝はそれらすべてを総合し、おのれの血肉として新当流を編み出して、世人はこれをト伝流と呼んだ。
ただしト伝というのは晩年入道してからの号で、それまでは塚原土佐守という名で世に知られた。
一生のうち、戦場に出ること三十七度、真剣の試合をすること十九回、斬った敵の首は二百十二に達したが、その間六か所の矢傷以外、一か所の刀傷槍傷も受けたことがなかったという。】
宮本武蔵との「鍋蓋試合」は史実ではないようですが、「無手勝流」と「家督相続」の話は、この大剣人らしい逸話と言えるでしょう。
山田風太郎著「忍法剣士伝」では、飯綱七郎太の姦計によって、他の十一人の剣士・剣豪・剣鬼たち諸共に畜生道に堕とされかけますが、弟子の上泉伊勢守とともに果心居士の魔道を払拭する塚原ト伝の描写は、まさに剣聖と呼ぶに値するものです(といって、この文章を読まれて「忍法剣士伝」を初めて手に取られるという方は、せいぜい腰を抜かされぬようご注意を!)。
最後に、鹿島神宮前の街路にはこんな石碑までありました。「藤枝梅安生誕地」の枯れ具合を視認した身としては、うらやましい限りの力の入れようです。全国各地の剣豪ゆかりの地にも巡ってみたくなっちゃいます。
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もともとは伊勢神宮へ行く予定だったのですが、あいにく雪が降りそうな天候となってきたので、雪中の運転に不慣れな私は、1日前に急遽行き先を変更したのでした。
結局、北関東でも雪は降ったのですが、もし同じ日に伊勢神宮へ行っていたら、東名の通行止めで翌日の仕事は休む羽目になっていたかもしれません(なにか感じるところがあって、直前まで宿を取っていなかったのは正解でした)。
さて、で、なんで鹿島神宮なのかというと、最近になって日本の神話に興味を持ち始めたきっかけになったのが長野の諏訪大社にお参りに行ってからで、そこの祭神のタケミナカタと特に因縁の深いのが、この鹿島神宮に祭られているタケミカズチだったからです。
神話上では伊勢神宮のアマテラスとも縁の深い神様ですから、ならば先にこちらへ、ということにしたのでした(いつか行くつもりではありましたし)。
神話の講釈は省きますが、鹿園があります。鹿は鹿島神宮では神の使いとされています。
地震を押さえているとされる要石の参道入り口にはこんな石像が。頭を踏みつけられているナマズの顔が、ユーモアたっぷり。
【鹿島神宮】
式内社。常陸国一宮で、旧社格は官幣大社。全国に約600社ある鹿島神社の総本社。同県神栖市の息栖神社、千葉県香取市の香取神宮と合わせて、東国三社と呼ばれる。
タケミカズチを祭神とする。タケミカズチは香取神宮に祀られているフツヌシとともに、武芸の神とされており、武術の道場には「鹿島大明神」「香取大明神」と書かれた2軸の掛軸が対になって掲げられていることが多い。
ちなみに今、嫁さんが古事記のマンガを描いています。
あくまで下書き程度ですが、ちょうどタケミカズチVSタケミナカタのくだりだったので、僭越ながら紹介させていただきますね。
嫁からコメント:下描き汚くてゴメンよー(´・ω・`)
さー、伊勢神宮にはいつ行こう。
・・・・・・実は今週末に予定をしていたのですが、事故ったので延期することにしました。
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23日の日曜日に駿府公園内で催された、「第一回 静岡戦國祭」に行ってきました。
私自身は戦国時代についての造詣が、ほとんどといっていいくらいないのですが、昨今の戦国ブームへの県内での関心のバロメーターになるものと考えていて、かなり期待して出かけたところ・・・・・・、
終始このような状態で、静岡祭りや大道芸ワールドカップなんかの人の多さを経験している身としては、ちょっと寂しい思いがしたことは否めません。まあ、観客全員参加のジャンケン大会があったりして、アットホームな感じではありましたし、今回の反省を次回に生かして、末永く続くイベントになればいいな、と思います。
ちなみに自分が感じるところの反省点は、告知があまりされていないようだったことと、漫画「センゴク」の原作者・宮下氏を交えたシンポジウムが別の会場でおこなわれ、駿府公園内のイベントとバッティングしたこと、あとはこの寒い季節に屋外で実施されたこと、の3点でしょうか。
以下、いくつかショットを紹介します。
遠州鎧仁会の皆様。浜松や掛川で活動されているそうです。静岡祭りでも見かけた気がします。
宮城から参戦の奥州片倉組の皆様。甦った武将たちという設定での寸劇を披露。
歴ドル(?)の織田かずささん。この名前で、好きな武将は明智光秀ですって。
安土のゆるキャラも駆けつけた! なぜ、しずポン(ステージ上に見え隠れするタヌキのキャラクター)の着ぐるみをこの日までに準備できなかったのか、それが悔やまれます。第2回以降でチャンスがあったら、ひこにゃんその他を誘致して、「ゆるキャラサミット in 静岡戦國祭」を検討するべき。
大河ドラマ「江」ゆかりの長浜からは、長浜歴ドラ隊の皆様が。この方々は素人ではないと思いますが、さて。
その他、岐阜から天下布武隊の皆様などが参加されてステージを盛り上げてくれました(なんか、忍者みたいなのもいたような気がしますが、あまり覚えていません)。懲りずに2回目も来てくださいね。
なんやかやで、静岡でもこんなイベントが開催されたことを嬉しく思います。
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10月に山田風太郎記念館へ行く前に寄った、天橋立で有名な宮津市の智恩寺で見かけた猫たちです。
文殊堂でお守りやらを漁っていたときに出くわした猫。どうやら直前まで病気をしていたみたいで、かなりやせている様子でした。臭いがちょっと獣くさかったですが、とても人懐っこく、膝の上に乗りたいような素振りを見せていました。乗せてやれば良かったかなー。
それぞれ同じ堂内に居た猫たちです。怪我をしていたりして、基本野良猫なのでしょうが、餌にも不自由せず、それなりに快適な生活をしているのでしょう。
・・・・・・智恩寺は、「三人寄れば文殊の知恵」で有名な寺だそうですが、由来がさっぱりです。黄金閣と称される山門が立派でしたな。
さて、こちらは智恩寺の対岸に位置する元伊勢籠神社で見かけた、狸ともつかぬ生き物。自信はないのですが、ハクビシンではなかったかと思うのです。
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