「天使のナイフ」
薬丸岳著「天使のナイフ」読みました。
この作品の取り扱っているテーマには興味があったので、途中までミステリーだということを忘れて、ただ読むことに没頭できたような気がします。
最後にはミステリーらしく、きっちりと”どんでん返し”を仕掛けてくれていましたが、それも割りと「やられた」という風でもなく、悲しく連鎖した物語の結末を締めるに相応しい、静かな幕引きだったと思います。
とても印象的な小説でした。
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薬丸岳著「天使のナイフ」読みました。
この作品の取り扱っているテーマには興味があったので、途中までミステリーだということを忘れて、ただ読むことに没頭できたような気がします。
最後にはミステリーらしく、きっちりと”どんでん返し”を仕掛けてくれていましたが、それも割りと「やられた」という風でもなく、悲しく連鎖した物語の結末を締めるに相応しい、静かな幕引きだったと思います。
とても印象的な小説でした。
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私生活の中で、何年か振りの読書ブームが来ています。
・・・・・・ブームと言っても、さほどヘビーにこなしているわけではありませんし、求めるものは基本的にエンターテイメントなので、ここ最近はミステリー小説ばかりを手に取っているわけですが。以下、ここ2ヶ月間ほどの実績。
・歌野晶午「死体を買う男」
・小泉喜美子「弁護側の証人」
・泡坂妻夫「しあわせの書」
・倉知淳「星降り山荘の殺人」
――ま、言うほど多くはないようですがね。
下の3作品は、ラインナップを見て気付く方もいると思いますが、2ちゃんねるの某スレを参考に、ミステリーの名作と呼ばれるものを拾い読みしている状態です。ストーリーや、語り口はそれぞれ淡白な印象を受けましたが、どの作品にも別々のトリックが仕掛けられていて、最後のページまで、ほとんど読む手が止まらないという状態でした。個人的には「星降り山荘の殺人」がツボです。
「死体を買う男」は、江戸川乱歩と萩原朔太郎の文化人コンビの探偵物という設定が楽しく、誰か山田風太郎と高木彬光あたりのコンビで推理小説をものしてくれないものか、と期待してしまうのです。
ああ、そういえば、山田風太郎の「明治断頭台」は、すべての真相が明らかになったときに、驚愕を通り越して、鳥肌が立ったものです。ミステリーとして読んでなかったから、なおさらだったなあ。
さて、この後には、またしても歌野晶午の「絶望ノート」が控えているのです。
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東野圭吾著「パラドックス13」読了。
ほぼ一日で読みきったので、それなりに力のある内容であったと思います。
本に巻かれている帯の文面と、作者の経歴から、崩壊した世界での謎解きミステリーみたいなのを想像していたので、最後までSFだったのは、逆の意味でやられた感がありましたが、生き残った(?)13人の、それぞれの人生は、山田風太郎の「修羅維新牢」を思い起こさせるよすがともなったのでした。
最近は、剣豪ものかミステリーしか読んでいなかったもので、たまにはこういうのもいいかな、と思いました(なぜその13人を残して一切の人間が消えたのか、構造は誰にでも推測できるのですが・・・)。
よくよく考えたら、東野作品を読むのはこれが2作目で、「ガリレオ」シリーズとか、TVドラマや映画の原作者として、何本か観ている作家さんなので、わりと身近な感じがします。
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十何年か振りに、「忍者月影抄」を読み返しました。
この、風太郎忍法帖の第5作目となる長編忍法帖は、菊地秀行氏が偏愛する一冊として掲げ、「すべて私の手本である」とまで言い切るほどの一遍でありますが、集団戦の帰趨に主眼が置かれているため、主人公と敵役がわかりやすく配置されている作品のほうが好きな自分としては、やや低めの評価としていたのですが、改めて読み返してみると、菊地氏に多大な影響を与えたのもむべなるかな、という出来映えであり、山田風太郎の面目躍如ともいうべき仕上がりとなってます。
他の忍法帖と比べても、かなり個性的かつ見栄えのする忍法の造形はもとより、お得意の忍者同士の闘いに彩りを添える、江戸柳生VS尾張柳生の剣戟場面の迫力は、凄絶の気すら放って読者を圧倒しますが、それらを描写する山田風太郎の筆致は、あくまでも流麗で、軽快な調べを奏でているかのようです。
それだけに、この暗闘の背景にあるのが、尾張宗春の度を越した悪戯と、それに対する将軍吉宗の過剰反応というのが、どうにももったいなく感じるのですが、それが「天一坊事件」の瓦解に結果的に繋がるということを考えれば、その構成の妙にはなるほどと手を打たざるを得ません。
・・・・・・さて、今回私は、河出文庫版を読んだのですが、それは【忍法 埋葬虫】の回で起こりました。
公儀お庭番・一ノ目孤雁を斃した、尾張御土居下組・御堂雪千代が、不意に肩に刺すような痛みをおぼえたとき、
【「なんだ?」
愕然としてふりあおぐ顔の上を、煙のようなものがながれすぎて、三日月の空にぼやっとひろがって消えていった。さすがに雪千代は、それが微小な昆虫の集団であることを見とめたが、それ以上の判断はつかなかった。
むけおちた。
美しい甲賀の忍者は、それこそ死びとの色に変って、白い初秋の日の下にたちすくんだ。江戸まではまだ十里あった。】
え・・・・・・?
【むけおちた】って、なに?
山田風太郎先生の文章はかなり判りやすい部類に入ると思うのですが、この部分については、前後の文章にまったく脈絡がなかったので、かなり狼狽することになりました。前回読んだ時も、ここまで混乱した記憶はありません。
――答えは2頁先にありました。
一ノ目孤雁の執念ともいうべき忍法の残り火は、御堂雪千代と吉宗の元愛妾・弥生の肉体を、生きながらに腐らせていきます。
【御堂雪千代は狂気のごとく、松並木のかげで弥生の背をむいた。やがて「公方様御側妾」と朱文字を入れるべき女の皮膚は膿爛し、それをはいだ彼の指の皮膚もずるりとむけおちた。
美しい甲賀の忍者は、それこそ死びとの色に変って、白い初秋の日の下にたちすくんだ。江戸まではまだ十里あった。】
正確には別の言い方があるのでしょうが、どうやら乱丁の類だったようです。(´・ω・)
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定額給付金を当てにして、ちくまの「山田風太郎忍法帖短編全集」を全巻購入することにしました(笑)。すでに手配済みです。
刊行時は、値段もちょっと張るし(文庫で¥800~¥1,000っていうのは安いもんじゃないですよ)、ほとんどの短編は手持ちの文庫で読めるので、各巻末に収められている、おまけ的なもののために全部揃えるのはどうかなあ・・・という具合だったのですが(長編忍法帖を買い漁り続けてきた人間のいう言葉ではありませんが)、図書館であらためて手にとってみて、急に欲しくなったのです。もう、病気ですね。
もともと自分は長編忍法帖大好きーなので、短編ものは長編ものに比べると、どうしても一段劣るとみていたのですが、風太郎をもっともよく読んだ時期がもう10年以上も前の話ですので、いま読むことで新しい発見や驚きが必ず見つけられるはずだと信じております。
――各巻の解説者の魂のこもった文章もファンにとっては心地のよいものばかり。
そんな私が現時点での忍法帖短編部門第一位をあげろといわれたら、迷わず「ガリヴァー忍法島」が頭に浮かぶのです。隣町の、焼津が舞台という要素が強いのは否定しきれませんが。
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山田正紀著「神君幻法帖」読了。
鎧のように硬い肉体を持つものがいて、変装術の達人がいて、占いを得意とするものがいて、かまいたちを起こすものがいて、不死身のものがいて、相争うふたつの一族の棟梁のわざがともに瞳術(ただし、これは映画「SHINOBI」の朧の術にむしろ近いが・・・)とでもいうべきもので、さらにその二人は修羅の闘争のさなか恋に落ちて――と、これはまさに、風太郎忍法帖、とりわけ「甲賀忍法帖」以外のなにものでもありません。
巻末のインタビューでも、作者の山田正紀氏は、きっぱりと「甲賀忍法帖」へのオマージュだと言い切っています。七対七で始まるこの世のものならぬ死闘は、数ある忍法帖の例にもれず、敵味方すべてがその命を散らして、ただ無意味な寂寥感だけが残ります。
とはいえ、これは風太郎忍法帖では、当然のことながら、ないのです。
様々な幻法を操る、幻法者たちの悪夢的な戦いは、時に予想を裏切り、勝敗の帰趨を二転三転させて展開していくのですが、読みながら、山田風太郎よりも、菊地秀行氏の小説のテイストに近いものを常に感じることとなりました。菊地氏が、山田風太郎の大ファンを自認していることは、ファンなら誰もが知るところでしょうが、結局、目指すもの=模倣の行き着くところは、大体にして同じ、ということになるのでしょうか(山田正紀氏、菊地秀行氏の批判にあらず)。
いくつかある不満のうちのひとつをあげるとするなら、登場人物たちのセリフのやりとりがやけに硬く、最後までニヤリとさせられるような、印象深い言葉が出てこなかったことです(本家の忍法帖であれば、どの作品にだって、名セリフ・名調子がいくつかはあるのですが)。
それでも、山田正紀氏なりの幻法の解説や、「甲賀忍法帖」とは違う結末、ラストの天海僧正に対しての皮肉など、興味深い部分も随所にあり、”21世紀の忍法帖”を、私は、大いに楽しむことができたのでした。
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小島正樹著「十三回忌」読了。
文体が全体的にライトで読みやすく、大胆不敵なトリックも楽しかったのですが、どんでん返しを期待し過ぎたせいか、さほど「やられた!」という感想を抱くまでには至りませんでした。ていうか、どう考えても警察が無能すぎ・・・。
さらに欲をいえば、もう少し、登場人物を掘り下げて描写してもらいたかったです(頁数がいまの1.5倍くらいになっても)。後半に出てくる探偵役も、やたら印象が薄く、今後あの人物を主人公とした続編が書かれたとしても、正直、手にとるのがためらわれそうです。
さて、書店に行ったら、山田正紀著「神君幻法帖」なるものが目に留まりました。カバーの装画が佐伯俊男氏で、反射的に手にとって、帯の解説を読む限り、
「なんじゃ、こりゃ、まるっきり忍法帖じゃん!」
巻末の著者インタビュー(聞き手:日下三蔵さん)に目を通してみると、いわく、山田正紀版「甲賀忍法帖」とのこと。
これは、読んでみるしかないだろう、ということで、さっそく購入したのですが、そういえば、山田正紀氏の本を読むのって、これが初めてだなあ――次作も構想しているそうなので、相性があえばよいのですけれど。
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――というわけで、小島正樹著「十三回忌」を読み始めることに。
舞台が静岡県ということを知り、いきなりテンションが上がる(笑)。本作の舞台である本川根町は、むろん、私の住んでいる町ではありませんが、親戚が住んでいるので、幼い頃から馴染みの町なのです(著者の小島正樹氏は、もしかして静岡出身か、なんて思ったりもしたのですが、カバーの著者紹介をみると、出身は埼玉のようですね)。
第一章での、およそ不可解極まりない被害者の殺害現場の設定に、期待感は高まるばかりなのですが、ひとつ気になることが。
それは・・・・・・方言です。
「なんだら、これ」
「ちょっとあっち、中庭のところだら」
「ああそうそう、駐車場の北に川があるだら」
「クロスボウ、日本ふうにいえば弩(いしゆみ)だら」
静岡県中部の人間であるなら、”~だら”という方言に戸惑いを覚えることもないと思うのですが、こう、文章にされてしまうとどこか不自然さを感じてしまうものです。
そもそも、”~だら”って、この言い方で合っていたかしら?
個人的な認識からすると、”~だら”というのは、”~だよね”とか、”~でしょ”という意味合いで使っていたので、そう考えると、この文章はどこかおかしく響きます(人気サッカー漫画「キャプテン翼」の、「ボールは友達だ!」というセリフは、静岡の方言だと、「ボールは友達だら~!」というセリフになるのが正しい、というネタを思い出します)。
もしかしたら、これが本来の意味合いであり、使い方でもあるかもしれないのですが、なまじ地元の言葉だけにしっくりこないのも確かです。
とはいえ、続きを読むのが楽しみな作品となってきました。
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歌野晶午著「世界の終わり、あるいは始まり」読了。
同氏の著作を読むのは、「葉桜の季節に君を想うということ」に続き、2作目ということになります。作品の発表順としては、「世界の終わり、あるいは始まり」の方が先のようですね。
さて、「葉桜の季節に君を想うということ」ではキレイに騙されたので、こちらの作品にも特にミステリーとしての醍醐味を期待していたのですけれど・・・・・・文体は相変わらず読みやすく、最後までぐいぐい引っ張られて読み終えることが出来たものの、後に残るこの消化不良感というか、渋味のようなものの正体は、いったいなんだろう。
ラストまでついに明かされることのない真実は、この物語の発端である、連続児童誘拐殺人事件でさえもが、あるいは主人公の途方も無い空想だったのではないか、とも考えさせられるような気がするのです。
事実パートより、空想(妄想)パートの方が、はるかに恐ろしく、救いようがないと感じた作品でもありました。
次は、「十三回忌」を読む予定です。ネットやらで書評を拝見していると、評価はおおむね良好で、「やられた」感を存分に味わえそうなので、これまた楽しみなのです。
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荒山徹著「柳生薔薇剣」読了。
読み終えて、「柳生百合剣」が正しくこの作品の続編であることが理解できました。「柳生百合剣」は、作者が途中で書くのに飽きたかのような投げっぷりが目につきましたが、こちらは着想といい、構成といい、ある時点まではとても興味深く、面白いものでした。
そう、物語中盤の、真新陰流・小笠原源信斎を、柳生矩香が斃すところまでは、とても面白かったのです・・・が、後半になっていきなり現れる、江戸柳生にとっての宿敵・幕屋大休の登場以降、物語に没頭できなくなったのも事実です。
それは、「柳生百合剣」→「柳生薔薇剣」と、時系列を逆に追ってしまった私のミスでもあるのですが、ただ、矩香の叔父である、超人・柳生友景の出現に対して、
「・・・だれ?」
という根本的な疑問が湧いたのは如何ともしがたく――作者の著作を遡ってみれば、柳生友景なる人物は、「柳生雨月抄」の主人公で、柳生流の剣士にして陰陽師である、という設定に辿り着くのですけれど、「柳生雨月抄」未読の身からしてみたら、そんなことはあずかり知らぬところなのです。
しかしそれでも、氏の作風は、現役の伝奇作家の中では、もっとも私の興味を引くものである事は確かなようです。「柳生陰陽剣(柳生雨月抄)」と「柳生大戦争」もすでに手元にありますし、「十兵衛両断」も読んでみたい。あとは、読書の順番をどうすべきか、という部分に行き着くのでしょう。
――どうか、荒山先生の著作に精通されている方々、ご教授を。
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書店で「十兵衛両断」の文庫本を探していたら、たまたま「柳生薔薇剣」の文庫版を発見したので、買ってきました。
さきに、「柳生薔薇剣」の続編となる「柳生百合剣」を読んでいて、その出来栄えにハードカバーでの購入をためらっていたところがあるので、文庫の発見は「柳生薔薇剣」を手に取る絶好の機会といえます。
「柳生百合剣」が山田風太郎の「魔界転生」のオマージュであったように、「柳生薔薇剣」は「柳生忍法帖」へのオマージュであるという書評をネット上でも見かけていたので、読み進めていくのが楽しみです。さっそく、鷹ノ巣康祐という登場人物が出てきたのは、鷲ノ巣廉助+五味康祐をもじったものでしょうが、これから地の文でもそういったパロディが展開されるのでしょうか。
現在、7章あたりまで読み進めているところですが、貴月家の家族の絆にちょっとばかりうるっときたりすることがあって、終始バカ話(いい意味で)っぽかった「柳生百合剣」と比べると、少しばかり事情が違うのかな、とも思ったりします。
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今年度の山田風太郎祭における、菊地秀行氏の講演の日も間近に迫ってきたので、久方ぶりに氏の著作でも先に読んでおこうか、という気になりました。
「せっかくの機会なので時代物にしよう」と物色していると、「幽王伝」というタイトルの作品が目に留まりました。副題に「陸奥(みちのく)剣鬼連合」とあります。なにやら柳生十兵衛も登場する様子で、「柳生忍法帖」のラストで北へ北へと走り去った十兵衛の姿に想いを馳せつつ、菊地氏が柳生友矩を主役に据えた作品を書いている事を知っていた事もあり、その友矩の兄貴を、「魔界都市ブルース」や「吸血鬼ハンターD」の菊地秀行がどのように描いているのか俄然興味が湧き、一も二もなく購入を決定しました。
―――帰ってから気付いたんですが、これって三巻完結の最終巻じゃん!
先に前二巻を読むべきか迷いましたが、最終的に柳生十兵衛が出てくるパートさえあれば充分、という結論に達し(病気か)、そのまま最終巻を読みきることにしました。
さて時代小説といえど、そこに展開されていたのはまさしく菊池秀行ワールドというようなもので、バンパイアや妖魔のようなストレートな表現の怪物こそ登場しないものの(もしかしたら”いた”のかもしれませんが・・・)、離魂病とやらに罹っている柳生刑部を筆頭に、死人の剣を振るう、その名も”冥府流”の剣鬼たち、謎多き薬屋の陣吾、あの世から戻ってきたかのような、妖艶な美女・おえん等、異形の面々が跋扈する世界で、柳生十兵衛はいたって普通の人間なのでした。
この作品の主人公・仏陀蒼介を別とすれば、柳生十兵衛は人間の中でも特に凄い、という位置づけで書かれており、豪剣をふるい敵対するものを大根のように斬って捨てるのですが、それでも奇人・妖剣の前では分が悪かったようで・・・・・・未読の方のために結末は伏せますが、これは”魔界都市”に放り込まれた柳生十兵衛の物語でもあったのでしょう。
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赤城毅著「隻眼の狼 時の剣」読了(以下ネタバレもありますので、未読の方はご注意を)。
柳生十兵衛(主人公に非ず)がいて、宮本武蔵がいて、天草四郎がいて、柳生宗矩がいて、柳生兵庫助がいて―――山田風太郎の「魔界転生」をこよなく愛する者にとって、これほどの顔ぶれが揃う作品が楽しくないわけがないのですが、時代劇の体裁をとっているとはいえ、こちらの本質は「仮面ライダー」シリーズのような、等身大のヒーローもので(主人公の敵方に、蝙蝠男や蜘蛛男、蜥蜴男が出てくるあたり、ねらっているとしか思えない)、よく言えば王道、悪く言えば単調なストーリーに、少々肩透かしを喰らった気分になりました。
この作品の柳生十兵衛は、最初から最後まで悪役を貫き通しているのですが、没年に修正が入っているとはいえ、主人公が不老不死という設定では、いかな超人的な描写をされようと、柳生十兵衛が勝てる道理はないわけで・・・これが小説ではなく、コミックかなにかであったなら、もっと満足のいく感想を得られていたかもしれません。
ただひとつ、気に入ったところといえば、「マクベス」を朗じる柳生十兵衛の描写かなあ。続きがありそうな終わり方をしていましたが、柳生十兵衛亡き世界となっては、後日譚に興味が湧かないのも事実なのです。
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「殺戮にいたる病」を読み終えて後、咄嗟に片付けなくてはならない小説がなくなったので、書店で次に読むべき本を物色していると、新刊コーナーで「隻眼の狼 時の剣」というタイトルの時代小説が目に留まりました。
隻眼=柳生十兵衛という脊髄反射につられて、その文庫本を手に取り、裏表紙のあらすじに目を通したところ、柳生十兵衛・宮本武蔵・徳川家光の名前が。「・・・ビンゴォ!」と期待に胸躍らせながら、あらすじをよくよく読んでみたら、
―――恐るべき力を持つ妖術師と手を組み、大乱を起こさんとする十兵衛。その野望を祭之介の剣は打ち砕けるのか?
・・・・・・・・・・・・って、どこの荒山徹ですか。
この小説の作者の、赤城毅という方の作品は今まで読んだ事はありませんでしたが、まあ偶には黒い十兵衛が出てくる話もよいか、ということで購入を決定。ちょうど荒山徹先生の「柳生陰陽剣」(「柳生雨月抄」改題)も置いてありましたので、こちらも買って帰ることにしました。
これとは別の日に、歌野晶午の「世界の終わり、あるいは始まり」も購入したので、またゆっくりと時間のあるときに楽しむ予定です。
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先日武田神社にも詣でたことだしと、おそらくは十何年かぶりに「信玄忍法帖」を再読してみました。
機山信玄の生死の謎をめぐって、徳川家康の命を受けた服部半蔵配下9人の伊賀忍者と、死んだはずの山本道鬼斎を軍師に控えた6人の影武者の2年間にわたる暗闘は、真田源五郎と猿飛・霧隠主従の目を通して語られます。
忍者同士の対決に焦点を置いた構成は、「忍者月影抄」や「外道忍法帖」に近いものでしょう。ときおり黒澤明監督の「影武者」を思い起こしながら読みました。
初めて読んだときの印象は、これといって主人公が明確に設定されていないため(強いていうなら山本勘介か?)、さほど武田家の興亡に興味が無かった自分にとっては、どちらに肩入れをしたらよいのか判断がつかず、そのせいか評価もあまり高くなかったようなのですが、あらためて読んでみるといろいろと再発見があり、むしろ初めて読む忍法帖のような感覚にも捉えられ、久方ぶりに山田風太郎の小説を存分に楽しめたような気がします。
それでも、【風陣篇】における上泉伊勢守の、
「又太郎、うぬはもはや死んでおるわ」
というくだりだけは強烈に記憶に残っていて、「なんかよくわからないけど凄い!」と痺れたのを思い出すのですが、再読してもやっぱり状況がよく飲み込めなかったです。この剣聖だけは、ホント、山田風太郎の作品群のなかでも特別枠ですねえ。
あとヒロインというほどの出番はないですが、八重垣姫萌え(笑)。反論は受け付けません。
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我孫子武丸著「殺戮にいたる病」読了。
確か、デビッド・フィンチャー監督「ゾディアック」のDVD発売にあわせて、アマゾンで一緒に注文したはずだから、いったい読み終えるのにどんだけ時間がかかってるのかっつー話です(まあ、実質2日で読みましたが・・・)。
こういう叙述系のトリックは好きで、読む前から結末にワクテカしていたものですが、なんせ中盤までの犯人の行動の描写があまりにも凄惨で、むしろそっちの方に気をとられたせいか、最後まで読んだときも、
「・・・・・・はあ??」
という気分が抜けないのでした。もうこれについては自分の読解力のなさを弁護する気はさらさらありません(トリックが判らないという意味ではなく、どこでどう騙されたのかが整理できないため、「解説」でいう”呆然感”の実態が見えない、ということです―――ああ、なんか解りにくい・・・)。
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山田風太郎の小説「魔界転生」は数ある忍法帖の中でも、その構成と文章の完成度の高さゆえに、作者の最高傑作とも評されることが多い作品ですが、これに【柳生十兵衛VS有名剣豪のガチンコ勝負】を期待して読み始めた剣豪小説ファン(もしくは映画のイメージをそのままスライドさせてきた読者)は、かなりの確率で肩透かしを喰らうのではないでしょうか。
実際、十兵衛と転生衆の対決の図式には、仲間の犠牲や助力・計略が少なからず関わっていて、当人同士の実力勝負という意味では、道成寺での柳生如雲斎との第一戦目と、最後の巌流島における宮本武蔵戦が、かろうじてその枠組みに入るのではないかと思われるのですが、個人的には「魔界転生」の決闘シーンは、経過や結果よりも作者の神懸かった濃密な文章描写を楽しむものと捉えていますので、今回は各対戦相手ごとに印象に残った(お気に入りの)セリフや場面(文章)をいくつか書き出してみたいと思います。
原作未読の方はスルー推奨で。
・VS田宮坊太郎
【・・・・・・なんたる神技、深編笠はならんで五六段駆けおりるあいだに、北条主税の首を刎ね、燕返しにその胴を切断していたのである。―――剣の遊びだ。曲斬りだ。】
【魔界転生の剣鬼田宮坊太郎は股から腹へかけて逆に斬り裂かれ、跳躍したおのれ自身の速度を加えて、もんどり打って石段をころげおちていった。空に散った血しぶきは、雨となってそのあとを追った。】
世間的にややマイナーと思われる坊太郎ですが、作中での十兵衛との関係は、(短期とはいえ)いわば師弟なわけで。それが十兵衛を横柄に呼び捨てるのが「魔界転生」の切ないところです。
・VS宝蔵院胤舜
【三段壁の巌頭に、宝蔵院胤舜と柳生十兵衛は相対した。十間の距離をおき、槍と剣をかまえた二人の姿は、秋の大空の蒼みにはめこまれた鉄か銅の彫刻のように見えた。】
【「―――左様かな? そう参るかな? そうかんがえるかな?」】
・VS柳生如雲斎
【三角頭巾の左手から右肩へ、ぼうと光芒がながれて立った。革鞘が地におちた。彼は抜いた。刀身を垂直にして、右肩に構えたのである。
・・・・・・二人のとった姿勢は、他流でいわゆる八双の構えといわれ、柳生流では「陰の太刀」と呼ばれるものだが、十兵衛はこれを八双の構えにあらずして陰の太刀であることを感得した。のみならず、これが江戸柳生ならざる柳生流であることを感得した。】
道成寺での柳生如雲斎初遭遇より。単純にかっこいいです。
・VS天草四郎
【「冒涜」のきわみともいうべく、彼はふふっと笑った。が、その笑い声の意味は。―――
「かつて天草で神童といわれ、サンタマリアに祈り、ゼウスの御名のもとにたたかったこの四郎時貞が、日本の御詠歌をうたうとは。―――」
つまり、失笑であったらしい。】
【「人触るれば人を斬り、馬触るれば馬を斬り・・・・・・鉄触るれば鉄を斬る、忍法髪切丸―――」】
・・・・・・読み直してて思ったけれど、天草四郎って、名セリフ多い(笑)。
・VS柳生但馬守
【「十兵衛、胴斬りしてよいか?」
殺気に陶酔したような但馬守の声が、もはや二間の距離で送られて来た。すでにその神秘的な剣気は、十兵衛を逃げも避けもならぬ決闘の風圏と化して彼をつつんでいる。】
【父を討てるか。
・・・・・・父の生存はいまや疑うべからざるものとしても、その父が、じぶんの知っている父とは別人となっている。人間ではない怪物に変わっている―――。
木村助九郎の死にざまを思う。また可憐な少年に対する、おとなげないどころか、人の心を持ったものとは思えない仕打ちを思う。―――
が、のっぴきならぬ万一の場合、はたして父を討てるか。―――わざの上でだ。】
十兵衛も認める但馬守の剣の腕前がよく伝わる場面。
・VS荒木又右衛門
【「やるか十兵衛。・・・・・・古今無道の親不孝者、父親殺し」】
【「鍵屋の辻じゃ。知っておるか、十兵衛。―――ここでおれと刃を交えるを誉れと思え」
―――柳生十兵衛の満面は血の気をひいていた。
なぜ変わったか? どこからこの力を又右衛門は得たか?
殺さぬ。又右衛門は生かして、その口からきく。
―――この不敵な望みが、すでに圧倒されていた十兵衛の心を一瞬に染めかえるあやうい転機となった。剣を交える以前の気力の死闘は、いずれ劣らぬしぶきを蒼空高くあげた。
相搏つは、同門同血の柳生新陰流。―――】
魔界転生して後、せっかくの剣技を一番ふるえなかったのは誰かと問われれば、この荒木又右衛門でしょう。
・VS宮本武蔵
【ただ、蒼い海と白い土。
水と砂。
あくまでも、むなしいほど明るいのに、それはなぜか、惨として物凄まじい死の風景を思わせた。】
【しんかんとした秋の午後である。
すべてこの世に、事もなし。―――といった風な。】
武蔵戦はすべてが読みどころで、生者と死者のラストマッチに相応しい舞台設定でした。
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100頁ほど読んでしばらく放置状態だった、歌野晶午著「葉桜の季節に君を想うということ」をようやく読み終えました(以下、未読の方でこの小説に興味のある人は、あまり目を通されないほうがよろしいかと思います)。
文庫の帯に踊る、【最後の一文に至るまで、あなたはただひたすら驚き続けることになるでしょう。】の文言は少し大仰な感じがしましたが、素直な感想としては、作者にきれいに騙されたなーという気持ちで、むしろ心地よい感じがします。
タイトルの叙情性と、物語序盤の主人公とヒロイン(?)のやりとりから、悲劇的な結末を予想していたのですが、それがいい意味で裏切られたことにも好印象を持ちました。
こういう叙述トリックは好きだなあ・・・。
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「忍法八犬伝」って、忍法帖の中でも非常に評価の高い作品で、私も何度か読んでいて面白いとは思うのですが、自分の中での忍法帖の序列で考えると、「海鳴り」「銀河」「忍法封印」「剣士伝」「自来也」「江戸」「忠臣蔵」あたりとほぼ同等か、もしかしたらそれよりちょっとだけ下かな、って感じの作品です。前述の作品の上位には、「柳生」「魔界」「風来」「伊賀」「外道」があって、それらの下には、「甲賀」「くノ一」「卍」が続くので、あえて順位をつけると16番目くらいですか。この下はというと、「軍艦」「月影」「信玄」「魔天」「秘戯書」「黒白」「双頭」「陰陽師」があるのみで、なんと下から数えた方が早い。で、なんで自分の評価がそんなに高くないのか、考えてみたところ・・・。
どうも、八犬士に対する村雨さまの態度に、終始乗り切れない部分があるようです。もちろん、八犬士は見返りなど端から求めておらず、ただ村雨さまのためだけに命を張ることを、無上の喜びとしているわけですが、同じ一人の姫君のために香具師たちが命を賭ける「風来」なんかと比べると、最後まで報われない(村雨さまの無邪気のおそろしさ!)八犬士たちが不憫で不憫で・・・。
あと、些細なことですが、角川文庫に入っていなかったということで、忍法帖シリーズとして、徳間書店から刊行されていた「忍法八犬伝」は、異質なものと捕らえていたふしがあります。だって徳間の忍法帖って、これと「魔天忍法帖」だけでしたから、1ランク落ちるって感覚があったみたいです。だからもしかしたら、「八犬伝」から忍法帖に入った人と、そうで無い人の評価は、多少異なるのかもしれないなあと思ったり。今は「忍法八犬伝」も、他の忍法帖と同じく講談社からシリーズが刊行されているので、こんな感覚を覚える人もそうそういないとは思いますけどね。
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荒山徹著「柳生百合剣」読了。
私にしては珍しく、1日で読みきった作品となりました。文体が、かしこまらずに読みやすかったせいもありますが、だんだんと、「この話に何日もかけてられるか!」という気分になってきて、一気に駆け抜けることに成功! もう、全十章あるうちの、第九章~第十章はものすごい勢いで読み進めました。
面白くないわけじゃなかったんですよ? 伝奇時代小説を読むのは久しぶりだったので、中盤の黒幕登場(自粛)の場面では、「おお、そこを引っ張りだしてきたか」と、感心することしきりでしたし、なんだかんだでどう事態を収束させるのか気になったし、それになんといったって、柳生十兵衛が(いちおう?)主役の物語ですし・・・まあ、とんでもないシスコンの柳生十兵衛でしたがね! 順番的に、「柳生薔薇剣」を先に読むのが筋だということははっきりしたのですが、初めての荒山徹作品に触れてみて、ただひとつ確信したことは、荒山徹作品は勢いで読むべきだ、ということです。ブルース・リー的に言うと、「考えるな。感じろ」みたいな?
タイトルにもちゃんと意味が込められていて、ただ単に、女剣客が重要な役割を果たすから、というワケではなかったのね。『百剣合シテ一刀ニ到ル』というのは、実際にある言葉なのかな? あとは、風太郎ファン的には、「魔界転生」からの文章の引用が少なからずあったのが楽しいというか・・・物語そのものが「魔界転生」のパロディとでも言ったほうがいいのでしょうか。以下、本文から該当部分を抜粋してみると、
・まさしく、彼らを「敵」とするものに呪いあれ。この恐るべき超絶の四剣士を敵として、万に一つもいのちある者が、この世にあろうとは思えない、であった。
・「おれは柳生十兵衛だ」
・とにかく、猿のことだから、どうだかよくわからない。
・とにかく、ここまで縷々として叙しきたったのは、(中略)・・・いまや二人は一体化という「編成」を整え終わり、自らを百合剣としたのだった。
風太郎ファンなら、「魔界転生」のどの部分の文章かすぐわかりますよね~。他には、そのものズバリ「魔界転生」を山田風太郎の名とともに引き合いに出しているところもあるし、十兵衛を慕う(?)子供の名前がお雛・お縫だったり、猿の名前に弥太郎ってついていたり・・・絶対わざとですよね? つ、次は「柳生大戦争」を読むか・・・(心配になってきた)。
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山田風太郎エッセイ集成「昭和前期の青春」購入。まだ「わが推理小説零年」も「育児日記」も、読み終えていないというのに、積まれる本が増えていくー(笑)。ついでに「柳生大戦争」も買っちゃった(ついでとか言うな)。
山田風太郎の著作を追っかけてきて久しいけど、まだまだ読んだことのない文章に触れ合う機会があるなんて、しあわせだなあ。
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昨今の伝奇小説事情を鑑みるに、荒山徹は避けて通れない道だろうと思い、著作を一冊読んでみる事にしました。いや、別に避けちゃってもいいのだろうけれど、荒山徹が柳生を題材に採った作品を数多く発表しているため、誘惑をついに抑えきれなくなったというべきでしょうか。思えば今まで手に取らなかったのが不思議なくらいで、それというのも自分が読みたい作品が、未だ文庫化されていないというのが理由なのですが・・・ハードカバーで買うと出費がかさむし、古本屋に行ってもお目当てのものもないし、それに、なんか酷い扱いをされている柳生さんちを見るのがイヤだったし(どんな理由だ)。
ちょうど「柳生大戦争」が刊行されたばかりで、これはタイトルだけでも猛烈にそそられるものがあるのですが、いちおう次の候補という事にしました(もう想像するだけで楽し~)。今回最終候補に選んだのは、「柳生大戦争」の少し前に出版された「柳生百合剣」と、その前作(かどうかは知らんけど)の「柳生薔薇剣」の2冊。知らない方のために補足すると、薔薇は『そうび』、百合は『びゃくごう』と読みます。で、帯や折り返しのあらすじなんかを読んで、結果、「柳生百合剣」を購入しました。薔薇(バラ)よりも百合(ゆり)にエロスを感じました。
この適当な選択が吉と出るか凶とでるかは分かりませんが、別にどっちに転んでも構わないと考えているので、存分に荒山ワールドを堪能してみたいと思います。ていうか、「柳生百合剣」に決めてから言うのもなんですが・・・やっぱり「柳生薔薇剣」を先に読んだほうがいいですか?
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東野圭吾著「ある閉ざされた雪の山荘で」読了。
最近、読書をする機会も少なくなってきているのですが、そのような状況で、京極夏彦以外のミステリーに手をつけるのも、実に久しぶりのことです。東野圭吾の名前は知っていましたが、いままでなんとなく敬遠していたのを、「探偵ガリレオ」TV放送にともなう東野圭吾フェア的なものと、書店員の手書きポップに惹かれて、ちょっと手をつけてみようかという気になりました。「十字屋敷のピエロ」とこれとで、どちらを先に読むか迷ったのですが、たまたま購入を決めた書店に、こっちの方しか置いてなかったので、「ある閉ざされた雪の山荘で」に決めたようなものです。東野圭吾作品の情報収集もせず、なんの脈絡もない選択だったので、東野圭吾ファンの中にはなぜ最初の一冊にこれを選んだのか、と思われる方もいるかと思われますが、まあ、そういうことです。
ストーリーは、劇団のオーディションに受かった7人の男女が、乗鞍高原のペンションに呼び集められ、演出家の指示により殺人劇の舞台稽古が行われるが、現実に仲間が一人ずつ減っていき、一同の間に本当の殺人が起こっているのではないか、という疑惑が生まれるというもの。
本編に入る前のページに、舞台となるペンションの平面図が描いてあったりして、綾辻行人氏の「館シリーズ」を想像しながら読み進めましたが、犯人の動機や、事件の全貌を知ったときには、自分が期待していたようなものは、結局得る事はできませんでした。それでも、東野圭吾はつまらないとか、自分には合わないとか、まだ決め付ける気にはなりません。この作品をミステリーと呼ぶには、あまりに特殊なミステリーのような気がしましたが、最初に手を付けたのがこの作品で、実は良かったのかもしれないと思っています。東野圭吾作品はいくつか映像化されているものもあるので、今度は、もっと有名な作品を選んで読んでみようかな。
さて、次は横山秀夫の「クライマーズ・ハイ」だ。
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別冊新評「山田風太郎の世界」をゲットできそうです~。まあ、入手先はヤフオクなんですけど。そういえば、少し前に「忍法相伝73」がヤフオクに出品されてたっけなあ。自分が見たときは、25,000円くらい付いていたけど、結局いくらで落札されたんだろう・・・。いくら幻の忍法帖とはいえ、万単位での入札は、自分にはとても無理だわー。それにしても、落札した人は、相当の風太郎ファンだとは思いますが、25,000円も出して読みたいものですか(半ば羨望)? それとも投資目的だったのかしらん。私もファンのはしくれとして、機会があれば読んではみたいけど、こいつ(忍法相伝73)だけは、そっとしておいたほうが良いかもしれませんね。
ん~、別冊新評「山田風太郎の世界」って、確か持ってなかったよな・・・? ちょっと自信なくなってきました(笑)。
他に、今日は本を2冊買ってきました。東野圭吾氏の「ある閉ざされた雪の山荘で」と、横山秀夫氏の「クライマーズ・ハイ」です。東野圭吾の小説を読むのはこれが初めてになりますが、なんで「ある閉ざされた雪の山荘で」かというと、特に理由はありません。東野圭吾ならなんでもよかった。後悔はしていない。「クライマーズ・ハイ」は、原田眞人監督・堤真一主演で映画化になるということと、御巣鷹山の航空機事故を題材に取っているということで、俄然興味が。御巣鷹山の事故には、個人的にちょっとした因縁というか、思い出がありますので・・・。
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いま、「新帝都物語 維新国生み篇」を読んでいるところですが、なかなか先に進まなくて困っています。分厚いということもあるのですが、なんか、面白くないから、というのが正直な感想です。まだ第一部の中盤なので、これから面白くなってくるのかもしれませんが、「帝都物語」にはまった人間としては、ここまでの展開にはいささか物足りなさを感じています。この「新帝都物語」は幕末を舞台にした設定で、新撰組の土方歳三や斉藤一が主要キャラとして出てくるのですが、幕末という時代背景も、新撰組という組織も、どっちも興味ないしな~。いや、むしろ興味があまりないからこそ、荒俣宏の膨大な薀蓄に期待して読み始めたというのに・・・。
このあとに「殺戮にいたる病」と「葉桜の季節に君を想うということ」が控えているので、早いとこ片付けちゃいたいんですが、この分だと、「新帝都物語 維新国生み篇」を読み終える前に、他の本に取り掛かってしまいそうです。今さらながら、東野圭吾も読んでみたくなってきたし。そういえば「陰摩羅鬼の瑕」も途中で飽きて、「邪魅の雫」が出てから慌てて読んだっけなあ・・・。
たまには風太郎作品に対する不満点をあげてみよう。表題の「柳生十兵衛死す」についてです。山田風太郎の最後の長編小説となったこの作品は、私がリアルタイムで風太郎に接することが出来た唯一の作品でもあり、非常に感慨深いものがあるのですが、こんな設定にしてまで、柳生十兵衛を片付けなければいけない理由が果たしてあったのでしょうか? もちろん、先生が作り上げたヒーローですし、「いつか柳生十兵衛を片付ける話を書きたい」と念じておられたことも知っているのですが、例えば水戸黄門がドラマの中で死ぬ最終回を見たいですか? ブルース・ウイリスが、ジョン・マクレーンが死んでしまう「ダイ・ハード」への出演のオファーを受けるとでも?
・・・まあ、柳生十兵衛が最終的に死ぬのはよろしいでしょう。問題は、「柳生十兵衛死す」の十兵衛が、「柳生忍法帖」「魔界転生」の十兵衛とまったくの別人で、パラレルワールドの住人になってしまったことです。ここだけが本当に残念です。「柳生十兵衛死す」はひとつの独立した作品として見れば、私も好きなお話なのですが(中村橋之助が「柳生十兵衛死す」の舞台をやるというのであれば、絶対観に行きます。「柳生十兵衛死す」はテーマに能を扱っている事もあるけれど、絶対に舞台向きだと思う)、世の風太郎ファンが読みたかったのは、「柳生忍法帖」「魔界転生」の十兵衛が死ぬ話だったに違いがないのです(断言)! 「魔界転生」のラストで一人波のかなたに消えていった十兵衛が、その後風太郎世界でどんな修羅の道を歩んだのか。「柳生十兵衛死す」のラスト以外の道はなかったのか。本当に気がかりで仕方がありません。
上下巻2冊に分かれた本があったとき、上巻を読んでから下巻を読むまでに、ふつうどれくらいの期間を空けるでしょうか。続けてすぐ読みにかかるというのが、ほとんどかと思います。私は「魔界転生」の上巻を読んでから、下巻を読み終えるまでに、実に10年以上の歳月を要しました(笑)。
理由は、上巻を読み始めたのが小学生の時で、言葉や物語が小学生には難解すぎたせいで、かなりの時間をかけてなんとか読みきったものの、その後ほどなくして、深作版映画「魔界転生」→石川版漫画「魔界転生」の順番で鑑賞してしまったため、一応の物語の完結に満足してしまった、というものです。
おかげで十年間、「魔界転生」のラスボスは天草四郎と信じるはめになりました。また、石川版には原作と同一の章題・「転生のとき」というのがあったため、初めて原作の下巻を読んだ時は、石川版と同じ展開になるのではないかとハラハラしたものです。
そして十年経って、自己の中で完結した原作「魔界転生」は、私の想像を大きく上回る面白さで幕を閉じたのでした。「魔界転生」はいままで何度もメディア化され、天草四郎はその中のどの作品でも重要な役割(もう一人の主役みたいな)を与えられてきましたが、私の中で天草四郎が原作を上回るキャラクターとなりえた作品は、いまだありません。
原作には転生前の描写がなかったのが良かったのかもしれません。敬虔なクリスチャンからの転身、あの香炉銀四郎を凌ぐ糞餓鬼っぷり、「ちちははの めぐみもふかき 粉河寺」と謳いながらお品に狼藉を働く四郎、十兵衛との対決の情けなくも意外な決着、末期の悪態・・・最後まで悪役を貫き通したのは、ある意味爽快とも言えます。一冊の小説の主人公ともなりえる天草四郎に、悲劇性をこれっぽっちも持たせなかったのは、この後に続く十兵衛の苦悩や悲哀を際立たせるためだったのでしょうか。
忍法帖のマイベストを3作品挙げてみようと思い立ちましたが、3番目が決まらないので、5作品選んでみる事にしました。
① 「柳生忍法帖」
② 「魔界転生」
③ 「風来忍法帖」
④ 「伊賀忍法帖」
⑤ 「外道忍法帖」
①と②は同じくらい好きです。完成度というか、山田風太郎の筆が冴え渡っているのは断然「魔界転生」のほうなのですが、私が風太郎にのめりこむきっかけになったのが、「柳生忍法帖」なので、少しだけ贔屓しちゃいました。
③~⑤はどれが上と順番をつけるのが難しいです。甲乙つけがたいという感じ? 「風来忍法帖」はラストに泣かされますが、なにより麻也姫が魅力的です。「伊賀忍法帖」は初めて読んだ風太郎作品ということで。当時は納得の行かない結末にもやもやしましたが、日本のエンターテイメントの真髄は時代劇にある、と確信させてくれるほどのインパクトがありました。⑤は賛否両論あるかと思いますが、遊女伽羅がとにかく印象的でした(他の作家が10冊くらいかけて書きそうなネタを、1冊で済ませてしまう風太郎は実に潔い)。
忍法帖マイベストは上記5作品となりますが、映像化したら面白いんじゃないかと思っているのは、「軍艦忍法帖」「海鳴り忍法帖」「銀河忍法帖」あたりだったりします。忍法帖の中では地味な部類に入るこの3作ですが、結構絵になるシーンが多いかと。目立ったエロ忍法もないし(まあVシネでエロはほとんどやられちゃったからなあ・・・残った未映像化作品というと、あまり選択肢がない罠)。
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